ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

2015年夏、下村博文・文科大臣の疑惑

 確か小学3年のとき、担任の先生が「このクラスには総理大臣が2人います」と切り出したのを覚えています。「えっ、誰のこと?」。みんなお互いの顔を見合いました。しばらくすると、先生はN君とI君の2人の名前を挙げて、「謎解き」をしました。N君は「博文」、I君は「勇人」、日本の歴史上に、伊藤博文(1841ー1909年)と池田勇人(1899-1965年)という二人の総理大臣がいたことを、このとき初めて知りました。以来、「博文」と「勇人」は、小生にとっては特別な名前になりました。この二人の名前を目にするたびに、親はきっと総理大臣にあやかって名前をつけたのでは、と思ってしまいます。安倍晋三氏と同じ年に生まれた自民党の元文部科学大臣下村博文氏も、「博文」と命名されたとき、親御さんには伊藤博文と同じ名前という意識が少なからずあったのではないかと想像します。

 その下村氏は今大きな疑惑の渦中にあります。1990年代頃から、霊感商法や多額の献金強要などの反社会的手法で批判を浴び、団体の名称変更を長年求めて許されずにいた統一教会が、2015年8月、念願かなってついに名称変更が認められたとき、文部科学大臣を務めていたのは、この下村氏だったからです。統一教会はこの名称変更によって「リニューアル」され、過去の「悪評」が薄められました。それは統一教会のもくろみでもあったでしょうが、その分、被害者が増えたとも考えられ、行政が名称変更を承認した責任は重大です。なぜ、長年認めなかった名称変更を認めることにしたのか。しかも、どうしてこのタイミングで……。
 下村氏は、この問題が指摘されると、7月13日、通常、名称変更は書類が揃い、内容の確認が出来れば、事務的に承認を出す(認証する)仕組みになっていて、大臣に伺いを立てることはしない。「今回の事例も最終決裁は、当時の文化部長であり、これは通常通りの手続きをしていた」とし、自分は関わっていない、などとTwitterで釈明しました。
 ところが、立憲民主党有田芳生・元参院議員や共産党の宮本徹・衆院議員が文化庁宗務課に確認したところでは、下村大臣が何も知らなかったということはなく、事前説明を受けていたらしいことがわかってきました。7月21日、あらためてこの問題を問われた下村氏は、「文化庁の担当者から、そういう書類が来たということは事前に報告があった」と認めましたが、それでも「(私は)まったく関わっていない」と、名称変更への関与を否定しています。前言は嘘だったと翻したわけです。部下から報告を受けた上司が、それでも「まったく関わっていない」と開き直れる根拠は何なのか。常識社会では有り得ない展開です。

 過去に文化庁宗務課長を務めていたこともある前川喜平さん(元文科事務次官)は、「事前に文科相へ説明するということは、認証するかどうか指示をあおぎにいくことだ。事前に聞いておいて何も関知していないというのはおかしい」と指摘しています。

 7月28日付「smart FRASH」に前川さんのインタヴュー記事があります。

旧統一教会「名称変更」を 止められなかった文科省・前川元次官「辞表を叩きつけてNOと言えなかった悔いはある」 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]

《1997年に僕が文化庁宗務課長だったとき、統一教会が名称変更を求めて来た。実体が変わらないのに、名称を変えることはできない、と言って断った》
 前川氏は、2020年12月に自身のTwitterでこうつぶやいている。改めて前川氏に話を聞いた。

「私が宗務課長になったのは1997年。前年の1996年に、オウム真理教事件の反省の上に、宗教法人法の改正がありました。それまで野放しだったものを、もう少し注意深く対応しようという姿勢に転じたのです。全国的に展開している宗教法人については、都道府県知事の管轄だったものを文部大臣の管轄に変更して、一定の書類を毎年、出してもらうことになりました。その直後に、私が宗務課長になったわけです。
 統一教会の名称変更の要請については、部下が私に報告をしてきたので、その段階で、『実体が変わっていないのに名称だけ変えるという規則変更はできない』という理由で、断ったんです。申請を受けて却下したのではなく、申請そのものを受理しませんでした。我々の気持ちとしては、『ここで認証してしまったら、文部省(当時)が社会的な非難を浴びる』という気持ちがありました。すでに1990年代に、統一教会の問題は知れ渡っていましたからね。
 もともと統一教会というのは、正体を隠して活動する性質があり、本体の名前を変えてしまうというのは、究極的な『正体隠し』になってしまう。当時、全国霊感商法対策弁護士連絡会も、文化庁に名称変更を認めないでくれと要望していました」

 こうした前川氏の判断により、名称変更は長く認められてこなかった。それが2015年、突然、認められることとなる。前例を踏襲するのが慣例となっている官僚が、それを覆す判断をしたということは、そこに強い動機、つまり政治的な意図が働いたのだろう、と前川氏は感じた。
「2015年のときは、宗務課長が私のところに事前に説明に来ているんです。私は当時、文部科学審議官。……
 宗務課長が説明に来たときに、私は『NO』と言いました。名称変更は認めるべきではない、と。ただ、裏には何か政治的な圧力があるとは思っていました。私は『NO』と言ったけど、結局、認証されてしまった。私よりも上には、事務次官と大臣しかいないわけです。私は、(認証された理由は)大臣の意向が働いたことは間違いないと思っています。当時の下村博文文部科学大臣がゴーサインを出しているのは間違いない。これは確信しています。……」(前川氏)

 名称変更から約7ヶ月後の2016年3月、旧統一教会と関係が深い「世界日報社」から、下村氏は6万円の寄付を受けています。
旧統一教会の改名、一転受理 文化庁、申請拒否から18年後 | 毎日新聞
 下村氏には説明する責任があります。

 前出の宮本徹・衆院議員は、7月26日、文化庁から提出された名称変更した際の決裁文書を自身のTwitter上で公開しましたが、肝心の「名称変更理由(規則変更理由)」は墨塗り。統一協会文化庁に提出した、「名称変更の申請書」の名称変更の理由も墨塗りです。森友・加計の禍根をまたしても繰り返そうというのでしょうか。

 下村氏は7月22日にコロナ陽性を明らかにし、医者から10日間の自宅療養を指示されたとしています。療養明けの8月には、何か釈明するかもしれませんが、氏はこの問題とは別個に国民への大きな「負債」を抱えています。5年前、加計学園から受けた献金200万円を政治資金収支報告書に記載せず、都議選が終わってから説明すると言ったまま、ずっとその「約束」を果たしていないのです。

 過去の総理大臣と同じ名前をもち、昨年秋の自民党総裁選出馬にも当初は意欲的だった人が、今後、二人目の「博文」として総理大臣になるのだとしたら、前例にならってだんまりというわけにはいきません(まあ、総理大臣にならなくても、だんまりは×です)。この件を「負債」に加えられないよう、我々も監視の目を怠れません。
 氏には、復帰後はコロナ感染の医師の診断書を公にすることもお忘れなくと言っておきたいと思います。





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