ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

分断と傍観と忘却を越え出ること

 昨日は赤木俊夫さんの命日でした。
 今日3月8日は国際女性(婦人)デイです。
 ロシアに「プッシー・ライオット」という覆面パンクロックのグループがあります。あまり詳しくはないのですが、ずっと反プーチンの声を上げ続けていて、メンバーが反戦デモで拘束されているやに聞きます。メンバーの創始者のひとりで、一時投獄されたこともあるマーシャ(マリヤ・アリョーヒナ)さんが、2014年のロシアによるクリミア併合時に、米国の政治評論誌『ニュー・リパブリック』に寄稿した記事を見ました。8年前なので、事実関係は古いのですが、今の日本を考えると、内容的にはとても「古い」では済まない話で、共通するものを感じました。
 ロシアの人びとは、3月4日の悪法――軍に関する「偽情報」を広めた(と認められた)場合、最長で禁錮15年の刑罰――にもめげずに、ウクライナ侵攻にNOの声を上げています。それは、マーシャさんが記事で8年前のクリミア併合のときに嘆いた姿とは少しちがっています。あるいは、そのときに声を上げなかったことを悔いている人がロシアにはいるのかもしれません。翻って日本の人はどうか、自分は、その周りはどうかと、少し考えさせられました。

 拙い訳ですが、2014年3月3日の記事より引用させてください。

Pussy Riot's Maria Alyokhina on Putin's War in Crimea | The New Republic

ロシアは1968年を繰り返そうとしている――クリミア半島の占領とモスクワの沈黙

 「ロシアはクリミアに軍隊を派遣している」。これは全世界に向けられた文字言葉であるだけでなく、我が国によって、ロシア連邦によって(実際に)とられた行動なのです。軍隊は今日、(何と、マースレニツァ週間の最終日である)「赦しの日曜日」にクリミアの街路を進軍しています。(ロシアの)族長は「ウクライナが(こんな日に)抵抗しないことを願う」と宣言していますが。

 警察はモスクワの下町にあるマネズナヤ広場に立ち、戦争反対を宣言する人々を捉え逮捕する準備ができています。拘留部隊は、刑務所の庭を毎日1時間歩くために、ボロトナヤの囚人を連れ出しています。この囚人たちは、公正な選挙を要求して、2年前に街頭で連れだったことにより拘束されています。軍隊、警察、刑務所の警備員――彼らは皆、抵抗を打ち砕くための命令に従っています。市民同士を対立させ、一方のグループに他方のグループに対する物理的、法的な力を使う権限を与えるという古い刑務所の戦術。すなわちこれがウラジーミル・プーチンの戦術でもあります。

 私たちの抵抗は歴史書には記録されないでしょう。なぜなら、広場に到着して意見を述べる前に私たちは逮捕されてしまうからです。軍隊を派遣するという決定が、現在権力を掌握する私の国の代表・プーチンによってなされたという事実も記録されないでしょう。歴史には「ロシア」、「軍隊」、「国際社会からの憤慨」という言葉だけが残るでしょう。

 ロシアで(反政府活動の)予防のために実施されてきた「分割統治」の原則なるものを正当化することはできません。それは、この原則を積極的にせよ消極的にせよ支持する人々の立場を正当化できないのと同じです。昨夜、教師のような、国から給料を得ている公務員に対して、軍隊の派遣を支援する集会をやるので、街頭に出るようにとの必死の呼びかけがありました。彼らはそれに応えました。彼らは戦争のために集会に行ったのです。午後、私たちは通りや広場で彼らを見ました。そして、私たちはさしてそれに驚きもしなかったのです。まるで国歌を歌っている人々が赤の広場で逮捕されても驚かなかったように。

 「市民のみなさん、他の市民の通行を妨げないでください」。これは、逮捕と戦争に反対する最近のデモの最中にスピーカーから発せられた言葉です。これらの言葉は、ロシアに静かに忍び寄る市民の分断を最も明確に現わしています。内戦よりもたぶん恐ろしいことです。これは、人為的ですが効果的になされてきた市民の分断であり、一方に、意見はあっても通りを歩く権利がない人々がいて、他方に、頭は空っぽで政府に発言権を持たないで通りを歩く人々がいるのです。

 ロシアでは傍観することが生きることの中心になっています。政治的に関わりをもつこと、無関心を装わないことは、嘲笑の的です。時事問題について振り返り、分析することは、表面的で不必要なことと単純に退けられています (「…明るい未来へ」という話題もこれに追加できるでしょう)。しかし、こうしたソヴィエト時代からの名残りでもある、よりよい明日の(暮らしの)ための配慮は、現代のロシア社会ではもはや本当の説得力を持ち得なくなっています。「とりあえず、今は戦争はないのだから」という疲弊した思いに溢れながら、一日の終わりに疲労のため息をついているのが、この国の今なのです。

 こうして無意味に、盲目的に存続していく「今日」は、必ずや破滅的な運命に至るでしょう。受動的な忘却を続けながら生きるという宣告を受け入れてしまった者たちは、歴史とその過ちを繰り返すでしょう。こうして、平和のための闘争の旗印の下、戦争への瀬戸際に立つロシアは、1968年(のチェコ侵攻)を繰り返そうとしているのです。

 (真の)権力を求める人々は、過去と現在の過ちを認め、過ちを自分のものとして反省し、どう個人的な責任を負うかを知っています。自分の利益のために権力を手に入れようとする人々は、間違いを認めず、人々に自分の過ちを忘れさせるためにできる限りのことをします。ロシアでは、第三の道を選ぶ人が権力を握りました。すなわち、過ちを誇りに思い、敬意を表して記念碑を建てることです。

 ロシアのペルミには刑務所がありますが、そこでは、すべての女性囚人が守るべき第一のルールを心得ています。それは「形式(に従い)、規範(を守り)、養生(に努めよ)」というものです。彼女たちはこの規則に従って何年も生きていますが、これは、ロシア全土でも年中くり返されている規則ではないでしょうか? また、私たちの仲間の市民が自分たちの手で作ったものではないでしょうか? 両者の違いは、刑務所ではあなたの成り行きは国によって決定されますが、ふつうのロシアの地では、あなた自身が囚人のように生きていくかどうかを決める必要があるということです。そうでなければ、世界はクレムリンがますます刑務所の監視塔になっていくのを見つめることでしょう。この監視塔は、ロシア連邦(内の人びと)に代わって、軍隊を送るという命令の発信源なのです。

 1917年3月8日、当時のロシア帝国の首都ペトログラードサンクトペテルブルク)の女性たちは、国際婦人デイに合わせて、パンを求めて街頭に出ました。デモ隊は次第に膨れ上がり、翌日、翌々と人はあふれ、首都の38万人の労働者の大半が街頭に出たと言います。警察署長が発砲命令を出したため、あちこちで群衆が撃たれて死者が出ました。中には労働者を殺してしまったことにやりきれぬ思いの兵士もいました。数日後、彼らが反旗を翻し、出動命令を出した上官を殺害し、他の連隊にも反乱を呼びかけると、これに呼応した蜂起者は2万人を超えます。……
(池田嘉郎『ロシア革命』、22-25頁 より)

 105年前と単純に比べられませんが、怒りだったり、悲しみだったり(喜びもそうだと思いますが)、分断を越え出る感情の力は、やっぱりあるんじゃないかと思います。もちろん命は最優先です。治安警察に逮捕されたり暴行されるのだって怖いし、誰も望んではいないでしょう。それでも…か、だから…か、辛くしんどいところです。



 
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