ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「詐欺師」としての大阪府知事

 昨年の衆院選日本維新の会が「躍進」したことを喜ぶ?人がいる一方、危惧する人も多い。小生は後者の一人だが、大阪を地盤とするローカル政党の域を出ていない政党だなどと甘く見ていると、今夏の参議院選でさらに「躍進」して、1930年代のドイツのようなことにならないかと不安がよぎる。前から感じていることだが、(まだ)ヒトラーがいないだけで、(すでに)ゲッベルスはいると思う。

 維新批判の急先鋒を自認する哲学系ユーチューバーのじゅんちゃんさんが、詐欺師の手口から維新の会の吉村知事や松井知事の言動を分析していて興味深かった。元日付の動画から話の概要を起こしてみる。引用をお許し願いたい。

2022年に戦わなければならないモンスターとは? - YouTube

 今年は詐欺とたたかうというのが大きなテーマになってくると思います。これは去年も一昨年もそうでしたから、何でことさら「今年は」を強調するかというと、昨年の衆院選をもって維新の会という詐欺政党への警戒レベルはもう一段階引き上げるべきではないかと思うからです。霞ヶ関でも統計改竄が常態化していて、こちらも問題なのですが、この国はこうした詐欺的手法によって集団催眠状態におかれていて、それが今年2022年は加速していくと考えています。
 大阪でのカジノ(IR)誘致の件を見ますと、これは大阪都構想に匹敵する大規模詐欺事件であるのにもかかわらず、全国的にはあまり重大視されていません。しかし、維新という政党は詐欺の手法をすべて網羅しています。順を追ってみましょう。
 1つめは、維新とその支持者(信者)のあいだで、カジノはローリスク・ハイリターンということになっていることで、具体的には、民間資金でやるからわれわれの税金は投入されませんよというものです。しかし、最初に言っておくと、低いリスクで高いリターンは得られません。そういう風に言うものはすべて詐欺と考えてよい。しかし、そういうのを疑わなくなるのも無理ないなと思える側面はあります。というのは、吉村・大阪府知事が一皮むけたというか、テレビという電波をつかって、さわやかに、すがすがしく、ウソを盛り込みながら、バラ色の未来を語っているからです。
 直近の例だと、「報道ランナー」という番組(関西テレビ)で、IRに批判的なれいわ新撰組の大石議員に対して、こんなことを言っています。(IRに税金が使われると批判する)大石さんは決定的に間違えている。これは行政がお金を出してやる事業ではなく、民間が自分たちのリスクのもとに判断してやる事業です。先進7カ国でIRがないのは日本だけです。1年当たり給付金1,000億円が入り、大石さんの言う福祉や健康医療などをむしろ充実させることができます、と。
 経済的にノーリスク・ハイリターンなどと言っていますが、これは、同じ維新の松井・大阪市長も、以前、カジノには一切税金は使わないと述べていました。2年か3年前の二人によるトークショーで、吉村知事は「IRは税収がむしろ増えるからいいことしかない。教育費も無料にできるし、美術館も何個もつくれる」「だからやらない理由はないですよね」と言っていました。しかし、これ、キャッシュフローが年1,000億円も生み出せるのかどうか。「給付金」と言っていますが、これは売上げに対する「粗利」のことなんでしょうが、ふつうの大人の感覚で、それほどのドル箱がすぐにつくれて、半恒久的にそのキャッシュフローを維持できるのか、そんなうまい話はないのではないかと、詐欺師に騙されないために防衛本能を働かせることが必要だと思うんです。
 もちろん詐欺師も巧妙ですから、ノーリスクを言い過ぎると怪しまれるので、ちょっとリスクはあるかも知れないというかたちで、一応バランスのある議論であるかのように装います。「報道ランナー」という番組では、「経済的リスクはない。ただ、ギャンブル依存症を生み出す観点ではリスクがあるので、その面でのケアは必要だ」「(マクロ的に)行政として、お金は儲かるし、リスクはないけど、ミクロで見ると、ギャンブル依存症の問題があるので、それだけはケアしないといけない」と強調します。でも、それは、裏を返せば、これをやっておけば安心だということにもなります。多くの人はカジノには行かないし、行ける財力もない。自分たちにはデメリットはないし、儲かるんだったらいいんじゃないかという感覚になるのでしょう。
 しかし、これは詐欺師の常套句です。あなたはリスクの対象外ですというのを真に受けたら、詐欺師のカモになるのは時間の問題です。自分に関わるかどうかだけで判断していると、直前になって火がつくところまで放置してしまいがちで、これはニーメラー牧師の話(「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった…」)もありますが、なるべく火が遠くにある段階で、ヤバいと思って消火しておかないといけないという話です。 ただ、ここまでの話ではまだ契約書にハンコを押させるのは難しいということは維新の人たちもわかっています。「カジノ」という言葉はネガティヴな意味を帯びていますから。
 そこで、2つめの手口を入れてくる。吉村知事も「報道ランナー」という番組でまさに話していたことですが、この船に乗らないと大損しますよと。自分が何もしていないとゼロだと思うかも知れませんが、機会損失をしてるから、実はすごくマイナスなんですよと、不安を煽る。人間は、行動心理学などの実験もありますが、メリットがあるというのはもちろん行動インセンティブになる一方で、何か損をするということにも非常に敏感であると言われていて、それに忠実に攻めてくるわけです。大阪都構想の時にも、それと同じようなプレゼンテーションがあって、何もせずに沈んでいくか、挑戦をして見返りを得るかというウソの選択肢を用意して、デタラメな方に誘導する。吉村知事は「報道ランナー」のなかで、何もしなければ人口減少社会で、成長もしないし、未来は暗い。カジノという船に乗らなければならない、というようなことを言っています。具体的には、「IRについて、課題はギャンブル依存症だ。対策を徹底的にとるし、計画も立てていく。少子高齢化をほっとけば、経済もシュリンク(縮小)していくなかで、発展成長の起爆剤を民間の資金をつかいつくっていく。…夢洲を放置しておくより、大阪の成長にプラスになる」と述べています。
 しかし、ここで冷静にならなければならないのは、大人の感覚として、成長戦略、成長産業として博打をおこうとする行政をまともだと思いますかという話です。自分の市区町村で、首長が競馬やオートレースやパチンコを成長産業と位置づけ、そこから収益を上げて福祉を充実させますと言ったら、「いいね!」となるのか。行政のあり方としてどうなのかと思わないでしょうか。こういうのが、持続可能性があるとか、誰かの不幸をエサにするということでいいのか。社会の一定数をギャンブル依存症にして、そこから巻き上げた金であることを考えると、普通の感覚で言えば、どれほど愚かなことをしようとしているか、感じないといけないと思うんです。
 こういう感覚は私以外にも多くの人が抱くものだと思いますが、詐欺師も巧妙なので、念押しのクロージングをしてきます。最後の切り札で、これも詐欺の典型的なパターンですが、それは、もし、始めてみてやばいことがあったら、すぐに情報公開するし、改善できますというものです。具体的に、その番組で吉村知事がどう言ったかというと、「事業者との契約ごとなので、ルールのなかでプラスの情報もマイナスの情報も公開したい」「土壌改良の800億円も市民の負担ではない。別の会計を立てた…公費を入れない会計で一般市民のお金を入れるものではない」と。
 こう見てくると、カジノIRは詐欺としてのストーリーが非常にはっきりしていて、典型的なパターンがしっかりと押さえられている。
 ① リスクはほとんどなくハイリターンである
 ② やらないとあなたは損(機会損失)をする
 ③ もしリスクが顕在化したらその都度情報公開をし、軌道修正もできる

で、安全性を担保できるので、とりあえず契約書にハンコを押してくださいと。
 しかし、一度サインをしたら最後、地獄へ向かうことは避けられない。35年縛られるという話です。クーリングオフはききません。

<以下略>

 じゅんちゃんさんも後半で述べていたが、税金は一切投入されませんというところがすでに大ウソで、税金を使って基盤整備をしてくれるからこそ、企業(集団)が手を挙げてそれに乗っかるわけで、最初から最後まで自己資金でやって、毎年大阪府に利益還元する利他的?な企業などあるはずがない。

 ヒトラーの言葉を持ち出すのも何だが、
「国民大衆の心は本質的に、意識して、故意に悪人になるというよりも、むしろ他から容易に堕落させられるものであり、したがって、かれらの心情の単純な愚鈍さからして、小さな嘘よりも大きな嘘の犠牲となり易いからである。というのは、かれら自身、もちろんしばしば小さな嘘をつくのだが、しかし大きな嘘をつくのはあまりにも気恥ずかしくも感じてしまうからである。そのような大きな嘘はかれらの頭にはとても入り込めないし、したがって不名誉きわまる歪曲をするような、まったく途方もない厚かましさは他人の場合でも可能だなどと信じえないだろう。おそらく、このことについて説明を受けてさえも、なお長く疑いつづけ、動揺するだろうし、そして少なくとも、なにか一つくらいの理由はやはり真実だと受け取るだろう。したがって、きわめてずうずうしい嘘からは、つねになにかあるものが残り、続いてゆくだろう。――以上は、この世のあらゆる偉大な嘘の達人や、嘘つき団体が底の底まで知っており、したがって卑劣にも利用している事実なのである。」
(平野一郎・将積茂 訳『わが闘争(上)』<旧版>、角川文庫、327-328頁)

 21世紀になっても、100年前、1920年代のヒトラーのことばに「なるほど」と思い、その亡霊を見ないといけなくなるとは…。

<追記>不確かな記述部分を削除しました。









↓ よろしければクリックしていただけると大変励みになります。


社会・経済ランキング
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村