ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「道を譲る」ということ

 田舎の道路は道幅が狭いところが多いので、対向車が来たらだいたいは脇に車を寄せて道を空けるようにしている。「ドモ…」と会釈してすれ違うドライバーに出会うとホッとするが、スッと通り過ぎるだけのドライバーもいて、反応はそれぞれだなと思う。もみじマークまでにはまだ何年かあるが、むかし側溝にタイヤを落としたこともあったし、もう運転に自信がもてるような年でもなく、安全運転第一で、できれば車は運転しない方が…――心がけとしてはそんなところだが、のろのろ走っていると後ろから急かされてそわそわしたり、逆に、急いでいるときにのろのろ走る車の後ろになるといらいらしたりと、達観の域にはほど遠い。

 昨日、スガ前首相と2F元幹事長らが結集して「菅派」を立ち上げるという話があるのを知った。
岸田政権にくすぶる火種 菅派結成?「3月ぐらいには形にしたい」|テレ朝news-テレビ朝日のニュースサイト

 2F氏などは、自分では車のハンドルは握らないのだろうが、一般的には運転するのはもう危険と思わないといけない年齢のはずだ。ところが、政治家のハンドルの方はいっこうに手放す気はないようだ。いったいいつまで居座り続けるつもりなのかと思う。この人たちは「道を譲る」ということを知らないのだろうか。

 昨年小説『本心』を出した作家の平野啓一郎さんが「旧態依然とした制度を守ることに固執して、変化を志す芽を育てようとしないのが日本の弱点です」と話している。1月4日付朝日新聞のインタヴュー記事から引用する。

平野啓一郎さんが考える日本の弱点 現実の理不尽に目をつむるな:朝日新聞デジタル

 ――未来を舞台にした小説を書くのは、なぜでしょうか。
 未来から現在を考えないと、この停滞感から抜け出せないという思いがあるからです。
 僕はいわゆるロスジェネ世代ですが、財政や社会保障の危機感から、老後、「いつまで生きるのか」という問いを、社会からのプレッシャーによって内面化させられる懸念を抱いています。この世代は、10代のころは好景気を経験していて、当時の未来像とのギャップを生きています。しかし、更に下の世代は、ずっと停滞した日本を生き、現実とどうにか折り合いをつけている。結果、いずれにしても、長く生きるということに肯定的なイメージを持てなくなっています。

 ――どうすれば、そのような社会を変えていけると思いますか。
 一つには、過去と現在の因果関係でばかり物事を考えないということです。新しいアイデアを出しても、出来ない理由が100個も200個も返ってくる。「元々こういう事情なのだから」と。
 そうではなく、未来がどうなるか、どうあるべきかから、いま何をすべきかと考える必要があります。

 《小説「本心」の舞台は、仮想現実(VR)のテクノロジーが進んだ40年代の日本。主人公の青年は、亡き母のメールや写真をAIに学習させ、VR空間にVF(ヴァーチャル・フィギュア)として母を再現させる》

 ――未来の社会では、バーチャル空間の果たす役割がますます大きくなりそうです。…「本心」の後半、主人公は母のVFから離れていきます。
 コミュニケーションの喜びとは、自分だけではなく相手の感情に変化が起きることの実感にあります。
 美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」で一番切ないのは、苦労して死んだ母親に対して、主人公が立派になった姿を、見せたいけれど、もう見せられないところ。母親の心に喜びの感情が起こるところを経験したかった、というのが痛切な思いです。
 過去の学習を言語処理するだけのAIのVFに、その役目は果たせない。心はないわけですから。
 また、常に意外なことを言い続けるのが人間です。僕ぐらいの年齢の人たちでは、親が認知症になる場合もある。良くも悪くも、生きている人間は変わっていく。
 「本心」では仮想現実が心の慰めになる部分と、やはりAIと人間は違うという諦念(ていねん)との、間(あわい)の部分を描きたかった。
 リアルとバーチャル。僕たちはその揺らぎのなかで生きていくでしょう。

 《小説では、死ぬ時期を本人が決める制度が普及している。「もう十分」とその道を選ぼうとする母を主人公は理解できず苦しむ》

 ――科学医療技術の進歩によって寿命が延びれば、私たちの死生観にも影響するでしょうか。
 40歳になる頃の三島由紀夫の老いの恐怖は大変なものでしたが、当時の男性の平均寿命はまだ60代でした。
 人生100年が普通になれば、時間をどう使うかという感覚はかなり変わってくると思います。キャリア形成の仕方も変化する。
 ただ、純粋な寿命だけでなく健康を保つことも意識される。身体が弱ってくると、いつまで生きたいかという考えも影響されます。

 ――社会はどう変わるでしょうか。
 イスラエル歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏が強調していますが、テクノロジーの発達で寿命が延びるとしても、その恩恵を享受できる層とできない層に分かれる可能性は高いです。
 現代は上位1%の超富裕層が世界の個人資産の4割近くを保有する、人類が今まで一度も経験したことがないようなばかげた格差社会です。

 《主人公が公平な社会を求める一方で、登場人物の一人は「世界を変えるなんて、とても出来ない」と格差の構造を受け入れようとする》

 同じ人間として生まれてきたのに、一人が何不自由なく、120年の人生を謳歌(おうか)して、もう一人が貧困にあえぎながら短い人生を終える。そんな未来を放置してはいけない。
 テクノロジーを通じて「生き心地」の良さを模索するのは大事です。
 自分の生活は不遇でも、有名人のSNSをフォローすることで、華やかな生活を疑似体験できる。そういう喜びも否定できません。
 ただ、それによって現実の理不尽に目をつむってはならないでしょう。

 ――日本の若者は諸外国と比べて、将来への期待が著しく低いとされています。
 欧州ではグレタ・トゥンベリさんのような若者たちが「いい加減にしろ」と政治行動を起こしています。それは、メタバース(仮想空間)の中でもいずれ起こることです。
 「少子化は困る」とか「若い人にがんばってもらわないと」などと口では言いながら、旧態依然とした制度を守ることに固執して、変化を志す芽を育てようとしないのが日本の弱点です。
 ジェンダーギャップの大きい、典型的な「おじさん社会」が、「現実主義」を自称する「現状追認主義」で、あるべき理想像を踏みつぶしている。
 若い人たちがのびのびと、力を発揮できる社会でなければ、ますますじり貧になるばかりでしょう。

 「未来がどうなるか、どうあるべきかから、いま何をすべきかを考える」というのは(現実主義ではない)「現世(享楽)主義」だけの人間には高尚すぎるが、しかし、政治家だったら、余力のあるうちに後進に「道を譲る」くらいの美学は持つべきではないか。


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