ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「子ども家庭庁」という名称

 「親がなくても子は育つ」ということわざがある。子どもというのは自分の力と周囲の助けで何とかやっていくものだ(だから、あまり心配しなさんな)と、子どもの行く末を心配する親への励ましというか、心の持ちようを説いた言葉だと受け止めてきた。しかし、逆に言うと、子どもの成長には親の関与(子育て)が必要だという前提=「常識」があることを認めつつ、それをひっくり返しているわけで、この「常識」の方はどうも考え直した方がよい点があるように思える。

 12月15日、政府は2023年度から子ども政策を一元的に担う新組織「こども庁」を「こども家庭庁」と名称変更する意向を示した。同日の自民党の「『こども・若者』輝く未来創造本部」の会合で「子ども家庭庁」の名称が了承されたことをふまえたものらしい。しかし、これには会合で異論が上がったという。
 12月15日夕のTBSニュースより。

「こども庁」を「こども家庭庁」に変更 自民保守派に配慮|TBS NEWS

自民党 自見英子参院議員
 「子どもの居場所はもちろん家庭にありますけど、家庭だけではなくて、教育現場や学校、あるいは地域にもあると」
 組織の名称をめぐっては、「こどもは社会全体で育てるものだ」との声や虐待を経験した当事者から「家庭は戦場」との意見が出たことなどから、「こども庁」としていた経緯があります。

 一方で、自民党の保守派の一部には名称に「家庭」を入れるよう求める声が根強くあり、きょうの会合では最終的に「こども家庭庁」の名称とすることが決まりました。
自民党 山谷えり子国家公安委員長
 「『家庭』が入って良かったと言うふうに思っております。様々な困難を抱えた家庭があるのは事実でありますけれども、やはり家庭的な繋がりという中で、子どもというのは本当に子ども真ん中で育っていくと思いますので」

 山谷参院議員の「家庭的な繋がりという中で、子どもというのは…育っていく」という発言には、家庭と子どもの成長は切り離せないという認識が色濃く出ている。しかし、そもそも「子ども問題」に絞って専門的包括的に扱う独自組織をつくる必要性が出てきたのは、家庭が子育ての機能を果たし得ず、逆に「有害」であるという事例と事件が激増しているからで、「名は体をなす」の言葉どおり、「子ども問題」を家庭に緊縛するような矮小化した制度設計にすれば、かえって救われない子どもたちを増やすのではないかという懸念がある。

 自民党議連の勉強会にも招かれている風間暁氏も新聞インタビューでこう答えている。
 12月16日付朝日新聞より。

地獄だった、から…「こども庁」唱えた女性、「家庭」の2文字に失望:朝日新聞デジタル

――自民党の会合で、「こども家庭庁」に改める政府案が了承されました。どう受け止めますか。
 失望です。子どもたちをはじめ、当事者や専門家の意見を聞かず、大人、それも政治家だけがいる部屋で「こども庁」から「こども家庭庁」に変える話があっさりと決まってしまうのですから。
 もし、こども庁から変える理由が、伝統的家族観を重視する保守派への配慮なら、あまりに横暴です。こども庁という名前そのものが、家庭と分けて、子どもという個人を尊重する大人や社会からのメッセージだと思っていました。子どもと保護者は別々の人格です。

 ――15日の会合では、名称変更の理由として「家庭が基盤で、家庭の子育てを支えることは子どもの健やかな成長に不可欠」という説明があったそうです。
 確かに、大多数の子どもは家庭を基盤にして育つでしょう。ほとんどの場合、子どもがまず最初に所属するコミュニティーは家庭ですから、健やかな成長には家庭支援は必要です。
 でも、一部には家庭がない子もいます。家庭にこそ苦しめられている子も。こうした子のことを考えて、こども家庭庁にするのでしょうか。私は、この子たちに目線が合っていない名称と感じます。

 ――こども庁という名称は、風間さんが自民党の議連で話したことがきっかけで検討されてきました。
 「家庭は地獄でした」。議連の勉強会に呼んでいただいて、私が受けた児童虐待の経験を話しました。それで、家庭という言葉を抜いて「こども庁」にしてくださいとも言いました。議員たちがそれを受け止めてくれて、その場で、子どもが読んでも分かるように平仮名にしようという声も上がり、「こども庁」ということでやっていくことになりました。
 虐待の経験と言っても、人それぞれです。私自身は事前に、虐待を経験した人や子どもたちに意見を聞いて勉強会に臨みました。

 ――こども庁の名称のほうが良いと考えるのはどうしてですか。
 こども庁は、とにかく子どもを第一に、子どもを真ん中に考えるというのが理念です。ですから非常にシンプルに、子ども中心の「こども庁」。どのような環境下にいる子どもも、家庭のない子どもだって、一人も取りこぼされてはいけませんから。
 では今回、なぜ家庭という言葉が必要になるのか。子どものコミュニティーは学校も地域も習い事だってあります。その中で、なぜ家庭だけをピックアップするのでしょう。これだけを入れ込む理由があるはずです。
 本来なら社会がもっと手助けすべきなのに、子どもと家庭にだけ責任に押しつける価値観が背景にあるのでは、と私の目には映ってしまいます。
 私も保護者の一人です。核家族、共働き、ワンオペ……。近所の人が子育てを手伝ってくれる時代でもありません。今の現実と、かけ離れた感覚が、今回の名称変更を決めた人たちの中にないでしょうか。

 ――こども家庭庁をつくり、進めようとしている政策についての期待がありますか。
 政府がまとめた基本方針に書き込まれた政策については肯定的です。様々な当事者や関係者から丁寧に話を聞いてつくっただけに、「こどもまんなか」で考えられています。
 具体的には、「全てのこどもの居場所づくり」という項目があり、具体策が書いてあります。この言葉は、家庭のある子ども、ない子どもの、どちらにも向いています。家庭があっても息苦しい子どももいるわけで、どんな子どもも安心できる居場所を一緒に考えていく、「家庭ありき」ではないのを感じます。
 ただ、家庭が基盤、第一の居場所という考え方で、こども家庭庁を動かしていったら、子ども中心の政策が実行できるのか、疑問を持ちます。

<以下略>

 なお、この記事には、井本直歩子氏(元競泳五輪代表・国連職員)より、
 諸外国の子どもに関する省庁の名称は、「子ども」「子ども・家庭」「子ども・女性」「子ども・青年」など様々で、仮に今回「子ども家庭庁」になったとしても、政策の基本方針に家庭に居場所がない子どもや、家庭以外の社会などの包括的な役割も重視する内容が組み込まれるのであれば、あまりワードに拘りすぎる必要はないのではないか、政策の中身の議論を重視すべきと思う…。
 という趣旨のコメントが付されている。

 「名より実をとる」という解釈も可能ではあるが、そもそも「名」と「実」が選択肢になった話ではないことと、外国とちがって(?)名称が「子ども・家庭」と黒ぽち(中黒)で分離されているわけ(二本立て)でないことは憶えておかないといけないと思う。



↓ よろしければクリックしていただけると大変励みになります。


社会・経済ランキング
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村