ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「当事者性」考――「おかえりモネ」断章

 NHKの朝ドラ「おかえりモネ」――「真面目」に見てはいないが、主演者に妙な元気や明るさを感じない分、共感するところはあった。来週でいよいよ終わりかと思っていたところ、10日前の朝日新聞の記事を読んでいて、「ああ、これだ」と思い当たるところがあった。

 10月12日付の記事2つから引用。(※年齢などは省いた)

東北の作家が見た「おかえりモネ」 「感動の物語」からの解放 :朝日新聞デジタル
「わからないけど、わかりたい」 おかえりモネ・安達奈緒子の思い:朝日新聞デジタル

<作家くどうれいん氏へのインタヴュー>

盛岡市在住の作家のくどうれいんさんは、ドラマを楽しみにしている一人だ。
 今年、芥川賞候補になった小説『氷柱(つらら)の声』(講談社)では、東日本大震災の発生時に盛岡の高校生だった主人公を軸に、社会が求める「震災の物語」とは違った岩手、宮城、福島にゆかりがある同世代の若者たちの内面を描いた。
 くどうさんは「おかえりモネ」について、「被災者」とひとくくりにできない痛みをもった人たちを丁寧に描いた物語だという。魅力は何なのか。話を聞いた。

「被災者」とひとくくりにできない痛み
 『氷柱の声』を書くまで震災以後の表現、被災地を舞台にした表現を、自分から積極的に見てきませんでした。
 その理由の一つは、何かを失い、そこから立ち直る被災地の物語が苦手だということ。そういう物語を見た時に純粋に感動したと言える人と、何を言ったらいいかわからなくなる人がいます。私は同じ岩手なのに、内陸にいて申し訳ないという思いになります。
 小説『氷柱の声』を書き終えたからこそ、表現している方が、東北や震災を背景にした物語をどのように描くか気になり、普段はあまりドラマを見る習慣はなかったのですが、見始めました。すると、いつの間にか見ずには出勤できなくなりました。

 様々な人物のリアリティーのある部分を取り上げてくれています。主人公のモネこと永浦百音(清原果耶)は被災地で暮らしながら、津波が襲った時に島にいませんでした。「被災者」かどうか、自分では何とも言えないけど、モネなりの心の傷がある。「被災者」とひとくくりにできない痛みをもった人たちにとても魅力を感じました。
 モネが背負い込み過ぎて見える人もいるかもしれません。しかし私にとってモネは、とてもリアルな人物です。モネのように職業選択までしなくても、東北に関わっている人は同じような心境で生活している人は数多くいると思うんです。
 私は「おかえりモネ」は「震災もの」ではなく、様々な立場の人の内面を丁寧に描いたリアリティーある東北の物語だと思って見ています。
 例えば、最近では及川亮(永瀬廉)のセリフ。東京から帰ってきたモネに亮はこう言います。
 「きれいごとにしか聞こえないわ」
 その場にいた同級生たちが「そうだ、そうだ」とも言わないけど、「そんなこと言うなよ」とも言わない。「帰ってきてくれてありがとう」とは終わらない。「地元に戻ること」が「偉い」ともならない。それぞれの立場で、真剣なまなざしで、静かに悩み、考えながら何かをやりとげようとしています。
 また、津波で妻が行方不明のままの漁師・及川新次(浅野忠信)のセリフも印象的でした。
 「俺は立ぢ直らねえよ。絶対に立ぢ直らねえ」
 「がんばろう」「前を向こう」という声ばかりのなかで言いたくても言えなかった言葉だと思います。でも、このセリフも彼なりの悼み方というか、愛だと思うんです。世間が思い込んだ「前向き」な被災者像を壊し、社会が求める感動の物語から解放してくれます。
 印象的な言葉を一人ではなく、みな持っている。そういうセリフが「ここ一番のシーン」といったタイミングでなく、ときにはぎょっとするほど日常的に言う。でも、岩手、宮城、福島にゆかりのある方、震災で何かを失った方と話していると、本当にそのような言葉に日常的に出会います。

<以下略>

<脚本担当・安達奈緒子氏への書面インタヴュー>

 宮城・気仙沼の島出身のヒロイン・永浦百音(清原果耶)は、2011年3月11日の震災発生時、島を離れていた。家族や友人が津波に襲われたが、自分はその場にいなかったことで、罪悪感を抱えて生きている。
 高校卒業と同時に島を離れ、気象予報士として東京で働いていた。やがて、故郷の人たちのために役立ちたいとの思いが強くなり、地元に戻って、気象の仕事を続けている。
 東日本大震災以降、「当事者/非当事者」というテーマが取り上げられる機会が増えた。「非当事者」である自分に何ができるのか、10年たった今も悩む人は少なくない。
 被災地の「痛み」とどのように向き合い、作品にどんな思いを込めたのか。脚本を書いた安達奈緒子さんが、朝日新聞の書面インタビューに答えた。

震災の痛み「人によっても土地によっても違う」
――「おかえりモネ」で震災を描くと決まった時、何を大事にして脚本を書かれようと思われたのでしょうか。
 すべてを書き終えた今ですら、この質問に対して、どう自分の言葉にすればよいかわかりません。
 その土地にうかがって、いろいろな立場の方からお話を聞かせていただきました。残された建物や記録にも多く触れたつもりです。でもわたしが獲得できる感覚は「想像」でしかない。震災は現実に起きたことであり、そこに暮らす方々の生活を一変させ、そしてどんなに近しい関係にあっても、人によっても土地によっても、受けた影響や抱える痛みがまったく違う。
 この「事実」を「想像」によって物語に変容させることは、そもそも許されるのだろうか。おそらく震災について何かを表現しようとなさるすべての方がこの問題に直面し、それぞれにお考えになるのだろうと思います。その上で、わたしがわたしの感覚で得た、おそらくこれはまちがいないと思えた、ただ一つのことは、「その人の痛みは、その人にしか絶対にわからない」ということだけでした。あまりに単純な思考ですが、ここを拠(よ)り所にしていくしか方法がない、と考えました。

存在感を増した「当事者」という言葉
――安達さんは、今回脚本を書くにあたって、当事者性について、どのようなことを考えられたのでしょうか。菅波光太朗(坂口健太郎)が百音に「あなたの痛みは僕にはわかりません。でも、わかりたいと思っています」と告白した場面が、印象的でした。
 「当事者」という言葉が、あらゆる場で存在感を増してきていることは肌で感じていました。そして当事者である者と、そうでない者との間に引かれた「一線」が、何か寂しい関係を顕(あら)わにしてしまっているように思っていました。そこに線が引かれてしまったら、どんなにお互いがわかり合いたいと手を伸ばしても、触れ合うことを許してもらえない。それはあまりに寂しい。この寂しさを超える行動は何かと考えたときに、「わたしにはわからない。この事実を変えることはできない。けれどわたしは心から、あなたのことをわかりたいと思っている」と伝えられたら、当事者である人も当事者でない人も、相手を尊重しているという姿勢は示せるし、わかりあえない者同士でも一緒に生きていくことはできるのではないか、少なくとも寂しくはないな、と。そこに自分が救いを求めたのだと思います。

新次の言葉「立ち直らねえよ」に込めた思い
――第8週の「それでも海は」で、カリスマ的漁師で津波で妻が行方不明のままの、及川新次(浅野忠信)のせりふ「俺は立ち直らねえよ。絶対に立ち直らねえ」という言葉に、はっとさせられた人も多かったと思います。このせりふは、どんな時に浮かんだのでしょうか。
 具体的に、いつ、どこで、ということはわかりません。「おかえりモネ」という作品に携わる以前から、その種のようなものは抱えていたかもしれません。何か大変なことに遭遇しても歯を食いしばり、それでも強く生きようとする方々への尊敬や憧れの気持ちはまちがいなくあります。自分もそのように生きたいと願っています。
 ですが、どこか心の隅のほうに、わたしには出来ないというような後ろ向きな思いもあって、それは自分の力不足や怠惰に対する言い訳だったりするので、けっして新次さんの思いとは一致しないのですが、何か、「立ち止まらせてほしい」という切望が、わたし自身の中にあったのだと思います。それが新次さんとの出会いによって言葉になったのかもしれません。
 生きるということは何かを獲得していくことでもありますが、失う過程でもあると思うので、大切なものを失った自分とひたすら向き合うことも生き方の一つだと思います。そこから一歩も動かないという選択をする人も、ある意味とても強いのだと考えます。悲しみを悲しみ続ける自由をくれと叫ぶ人は、とても勇気があると思います。

――震災当時の実際の映像を織り交ぜることはされていなかったと思います。ただ、演じている俳優たちの表情だけで、胸の中にある苦しみが伝わっていました。他のなにげない日常のやりとりでも、受け取り方に幅をもたせることは、まさに連続テレビ小説だと思いました。
 人にはそれぞれ生きてきた過程で得た、その人にだけ備わった「センサー」や「フィルター」があると考えます。
 「価値観」や「経験」や「好き嫌い」といったものでしょうか。ドラマや映画などのフィクションに限らず、毎日の生活で出会う事象に対しても、人によって見えてくるもの、感じ取るものが全く違う。この「違い」が、その人にとっての「大切な何か」なのだろうなと考えます。
 作り手として物語を通じて伝えたいことは明確にありますし、伝える努力は限界までするべきです。きっと受け止めてくださるという信頼も、もちろんあります。でもわたしの考えだけが正解ではない。見る方がどう感じるかは自由ですし、「ああ、自分ってこういう考え方をするんだ」とか「こんなこと感じるのって自分だけなんじゃないかな」といった自身の内面と向き合う時間を持つことも、ドラマを見る楽しさだったり豊かさだったりするのではないかと考えます。同じ言葉でも正反対の意味にとらえられることは現実でもありますし、そこが言葉の表現の魅力でもあると思います。とはいえ書く側としては、やはり共感してもらいたいと強く願ってしまうので、胸中としては複雑ですし、思いが伝わったと感じられたときは、それはもう、ものすごく嬉(うれ)しくて、ひとり何度も喜びを噛(か)みしめていたりします。

「関わりを持ちたいと願ったことが大事」
――様々な課題が二分化される現代で、分断社会ともいわれます。わずかなかかわりを認め合うことが、当事者の困難を社会に開き、新たな関わりを作ることにもなるのではないかといったメッセージ性を感じました。現在のコロナ禍でも共通すると、思っているのですが、安達さんはどのようにお考えでしょうか。
 おっしゃるとおりだと思います。当事者でない者は何も言うな、その権利はあるのか、資格はあるのか、実際、本当のところを理解して行動しているのか、などと突きつけられてしまったら、無力なわたしたちは何も出来ない。近づく勇気すら奪われてしまいます。
 人はとても優しい生物だとわたしは考えます。だから自分が傷つくことよりも、「傷つけてしまうことに対する恐怖」のほうが本当は強くて、だから立ちすくんでしまうのではないか。「深刻な問題に対処するには、当事者ではない人間のほうが、より深く考えるべきだ」というセリフを書きました。今もその考えは変わりません。
 ですが、いざ行動する、となった場合、技術や知識を持った「資格者」でなければ、なかなか堂々とは関われません。でもそれで何も出来ずにお互い苦しいままでは、やはり「寂しい」。だったら中途半端でもいい、一瞬でもいい、明日には諦めてしまってもいい、一度でも関わりを持ったこと、関わりを持ちたいと願ったことがとても大事で、その小さな行動や思いが集まることで大きな流れを生み、よい未来を作っていく、そういう人間の集合体としての力強さを信じたいと思います。

<以下略>




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