ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

二つの隠喩

 16日土曜、日本史研究者・加藤陽子毎日新聞の記事「近代史の扉」を読んで、世論操作の問題としては奥があり根が深いと思いつつも、端的にはDappi問題のことを連想しないわけにはいかなかった。他にもそういう人はいたのではないか。

加藤陽子の近代史の扉:謀略と世論 政治家を葬ろうとした旧陸軍 | 毎日新聞

 10月7日の夜に起きた地震は、東京都や埼玉県を中心に最大震度5強を記録した。東京23区でのこの規模の揺れは、2011年の東日本大震災以来のことだという。
 翌日から国土交通省荒川下流河川事務所のツイッター投稿が話題になった。東京都江戸川区小松川のある地点の固定カメラが記録した地震発生時の編集動画だ。水中の魚が一斉に跳ねて川面におびただしい波紋を作った後、川岸の鳥が一斉に低く対岸へ飛び立つ。ふだんは見えない存在が地震によって表に引き出された動画はとても面白かった。
 地震のP波に反応する魚とS波に反応する鳥の対比の妙はさておき、なぜ面白かったのかを考えつつノーベル平和賞の発表を見る。今年はフィリピンのドゥテルテ政権の強権性を批判してきたマリア・レッサ氏と、ロシアのプーチン政権による人権侵害を暴いてきたドミトリー・ムラトフ氏が選ばれた。夜の川にすむ魚と鳥の姿を地震の力が可視化したのと同じく、社会の見えない権力構造を可視化するのは2人のような記者の力なのだろう。見えないものが見えるようになるのは無条件に面白い。だが、そこに懸けられるものが記者の命であってはならない。では、誰もが自らの目でこの世を一心に見つめていれば、この権力構造は見えるものなのか。それも難しい。ならば、人間の歴史がのこしてくれた類型を学び、推測することで見えないものを自らつかむ訓練をしてみよう。
 総選挙も近いので、今回は謀略と世論について考えておく。今月10日の外電はオーストリアのクルツ首相が辞意を表明したことを伝えた。2016年から18年にかけ、自らに有利なように調整した世論調査結果をメディアに掲載するために公金を使った容疑という。同様の事例を今の日本について資料から論じるのは困難なので、戦前期の陸軍が国内政治に行った謀略の事例を紹介して代えたい。

<以下略>

同様の事例を今の日本について資料から論じるのは困難」ゆえに軽々に論じないというのは、歴史家の禁欲的・自制的あり方としては当然かも知れないが、この一文を挿入したことの暗示効果は明白だと思う。

 他方、17日日曜の朝日新聞の記事「日曜に想う」(ヨーロッパ総局長・国末憲人氏)の方は、読み方次第では「隠喩」というより、ほとんど “当てこすり” である。

強権政治に訪れる幕切れの予兆 指導者は感じているのか:朝日新聞デジタル

ハンガリーオルバン・ビクトル首相――
 現在の欧州で、オルバン氏ほど評価の分かれる政治家は珍しい。若き頃は民主化の闘士。2010年に2度目の首相に就任して以来、この国に君臨する。
 支持者からの信頼は絶大だ。故郷フェルチュートの村人らはもちろん、農村部や高齢者の間で人気が高く、国政選挙は近年負け知らず。15年の難民危機では受け入れ拒否の姿勢を貫き、決然たる指導者としてのイメージを定着させた。
 一方、野党支持層や都市住民の評価は散々である。理由の一つは縁故主義。大学の同級生や同郷人を次々と主要な役職に送り込み、政財界からメディアに至る与党礼賛のネットワークを築き上げた。
 利益誘導体質も指摘される。フェルチュート村の畑には、村の人口の倍以上を収容する豪華なサッカースタジアムと複合スポーツ施設がそびえ立つ。7年前に完成。事業にかかわった国内有数の富豪は、同氏の幼なじみの元村長である。
 さらに問題視されるのは、司法を形骸化させ、野党を攻撃し、報道機関を傘下に収めつつ、自らの周囲に権力を集中させる政治スタイルである。同国の政治学者はこれをヒトラーの地位になぞらえて「総統(フューラー)民主主義」と呼んだ。

 オルバン氏は批判を意に介さない。「私は物事を20年単位で考える」と公言し、さらなる長期政権を担う構えだ。
 ただ、老いるまでその地位にとどまっても、後継者や傀儡(かいらい)に引き継いで王朝化を試みても、民主主義である以上、いつかは権力を失う。その時、積み重ねた行状が審判を受ける。
 「オルバン氏の唯一の関心は今や、権力にしがみつくことです。もし失うと、自身も友人たちも法廷の被告席に立たされかねないのですから」
 同氏と親交を持ちながらその手法を批判してきた著名なジャーナリストのパウル・レンドバイ氏はこう評する。
 民主主義を掲げながら、実際には特定の人物が権力や利権を一手に握る例は、ハンガリーをはじめロシア、トルコやアジアの国々にうかがえる。一見非情で、思うがままに権力を振るこれらの指導者は、しかし、いつか最後の日が来るとも、予感しているのではないか。運命をともにする仲間たちの手前引き下がれず、破滅を何とか先延ばししようと懸命なのが実態だと察する。

<以下略>(※年齢等は省いた)

 加藤氏、国末氏、どちらの記事もおもしろかった。しかし、「イソップの言葉」というのがあるが、これくらいの「隠喩」や「暗喩」ならともかく、これにとどまらず、検閲もないのに、さらに「解読」しないといけないような文を読んだり書いたりするのは御免被りたいものだとも思った。そんな時代へと進んでいる感じがしないでもない。




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