ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

照ノ富士と「隻腕の力士」

 大相撲秋場所は新横綱照ノ富士が優勝した。けがや病気がなければ、もっと早くに横綱になっていたはずの人で、かつてのパワーや豪快さは薄れてしまったが、どん底を経験し、這い上がってきたその精神力は、場所中も随所に感じられた。贔屓目もあるが「風格」が漂うほどだ。

 その照ノ富士がこの春、昔のドキュメンタリー番組で、片腕だけで相撲を取っている人を見て、自分もやらなくては、という気持ちになったと明かした。照ノ富士を奮起させたのは、30年前「隻腕の高校生力士」として紹介された布施美樹(よしき)さんだ。

人間劇場ドキュメンタリー「土俵の青春」 - YouTube
【HTBセレクションズ】片腕の力士 - YouTube

毎日新聞が、布施さんの歩みを紹介している。9月26日付の記事より(※年齢などは省いた)。

どん底から再起 新横綱Vの照ノ富士を奮い立たせた「隻腕の力士」 | 毎日新聞

 今年4月。大関返り咲きを果たし、夏場所に向けて稽古(けいこ)を始めていた照ノ富士がポツリと話し出した。「昔のドキュメンタリー番組で、片腕だけで相撲を取っている人を見た。片腕がなくても一生懸命に相撲を取っている姿を見ていたら、自分も、という気持ちになる」。陥落の要因となった両膝のけがに加えて2型糖尿病や肝炎を患い、相撲どころか命の危機にすら直面した照ノ富士が偶然目にし、時々見返しては勇気をもらっていたという。番組で取り上げられていた片腕の力士が、高校時代の布施さんだった。

 布施さんは青森生まれ、北海道育ち。小学2年の時に農業用カッターに右腕を巻き込まれ、肘から先を失った。引っ込み思案になり、友達から仲間はずれにされたこともあったが、父の勧めで翌年から柔道を始めた。当時は障害者スポーツの存在が今ほど認知されておらず、逆に健常者と一緒に競技に打ち込むことに違和感はなかったという。元々体が大きかったこともあり、勝利を重ねるようになると「柔道が唯一、自信が持てるものになった」。

 中学3年で176センチ、110キロだった体格を見込まれ、高校から相撲を始めた。道内の強豪・大野農へ進学すると、2年生だった1991年に全道大会制覇、翌年の高校総体(インターハイ)では個人ベスト8。団体戦では、後に小結・岩木山(現・関ノ戸親方)となる対馬竜太さんを破った。こうした活躍がメディアの注目を集め、ドキュメンタリー番組が制作された。

 拓大相撲部でも活躍し、その後は東京・拓大一高で教員になった。相撲部を創設し生徒たちを指導する傍ら、自らもアマチュアの土俵に上がり続けている。「相撲は生涯スポーツ。自分の体が動かなくなるまで『誰でもまだまだできるんだ』ということを伝えていきたい」と話す。照ノ富士のコメントが知られるようになると、角界でも布施さんの存在が再び話題になり、「大相撲の力士に注目されるなんてなかなかない。光栄です」と恐縮する。

 今夏、東京パラリンピックに見入ったという布施さん。「毎回思うことだけど、パラリンピックを見ていると『こんなこともできる、あんなこともできる』と人間の可能性を感じる。私の場合は関わってきた方々が普通に接してくれたおかげで『障害』を意識しなかったが、スポーツをするのにわざわざ障害者かどうかを分ける必要はない。私は唯一無二の存在なのだから」。自分が挑戦する姿で、また誰かに勇気を与えられればと思っている。

スポーツをするのにわざわざ障害者かどうかを分ける必要はない」――パラリンピックに啓発の意味があるとはいえ、何となく感ずる違和感をズバリ指摘している気がする。それはともかく、大きな挫折を味わった照ノ富士だからこそ、布施さんについての過去のドキュメンタリーを見つけることができたと思う。一日でも長く土俵に立っていてくれることを願う。


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