ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「観光地図にない」平和資料館

 今日8月9日。長崎の原爆の日。デモクラシータイムスで、今年の2月、長崎の小さな資料館を紹介する動画を見たことを思い出した。

衝撃の「地図にない」平和資料館~加害と向き合う【デモタイ取材旅】 - YouTube

 案内者(訪問者)はジャーナリストで作家の高瀬毅さん長崎市の生まれであることはあとで知った。
 長崎は坂の多い町だ。JR長崎駅から坂道を歩いて5,6分、高瀬さんの息づかいが聞こえるが、長崎市西坂町の丘に「二十六聖人」の碑と記念館* があり、その少し先、坂の途中に「岡まさはる記念長崎平和資料館」が建っている。調べてみると、動画で言われていたとおり、長崎市の観光地図にこの資料館は載っていない。Googleなど、他の地図には載っているが…。
* 1597年2月5日(慶長元年12月19日)、6人の外国人宣教師と20人の日本人信徒が殉教した地に立つ。

 資料館に名を冠された正治さんは1918年生まれ。キリスト教ルター派教会の牧師で、戦後長崎市議会議員を3期つとめた。元は海軍の軍人であり、戦中の体験を通じて日本の加害責任を深く心に刻んでいた。長崎で被爆した朝鮮人の実態調査を始めたことをきっかけに、日本の加害責任を問い続けたが、1994年7月に急死。一緒に活動していた仲間たちが故人の遺志を引き継ぐかたちで、翌1995年に開館したのがこの資料館だ。

 岡さんは、長崎の原爆資料館(当時国際文化会館)の展示で朝鮮人被爆者のことがまったく触れられていないことや、死者などの数字が実態と合わないことに大きな疑問を感じていた。当初は行政の姿勢を批判していたが、程なく自ら実態解明のための調査に乗り出し、その後、市民による市民のための資料館の設立を志すようになったとのこと。「市民の手で」というのにこだわった理由は、行政や企業からの援助を受ければ、ひも付きとなり様々な制約を受けることが避けられなくなると危惧してのことだという。

 岡さんらが刊行した資料集『原爆と朝鮮人』の一節にこう書かれている。
長崎の場合、米軍の原爆投下当時、ここに一体どれだけの朝鮮人が、どのような事情で居住していて、どのように生活していたのか、また、原爆被害の実態は、それから現実にはどのようなものであったかを、詳細に、継続的、具体的に調査しなければならない。それは当然の責務である。

 岡さんの調査範囲は次第に広がり、端島(はしま)、通称「軍艦島」で働かされていた朝鮮人や中国人の実態調査にまで及ぶ。端島には海底炭鉱があり、明治から昭和にかけて多数の労働者が暮らしていた。日本の近代化の産業遺跡として2015年に世界遺産登録をされたが、ここで強制労働させられた朝鮮人、中国人のことを視野の外におき、日本の近代化を賛美するような姿勢は問題だとされてきた(ユネスコの「世界遺産委員会」もIOCの「祝祭資本主義」に似たところがある。「観光資本主義」というところか…)。

 資料館には、1925年から1945年のあいだに端島軍艦島)で死亡した朝鮮人、中国人の埋葬許可の写しの綴りが置かれている。これも岡さんらが調べたもの。内容を一覧にしたものが展示されていて、一人ひとりの「死因」が並ぶ。「埋没に因する圧死」「埋没に因する窒息」「気管支肺炎」「気管支喘息」「急性肺炎」「外傷に因する脳震盪症」「熱射病に因する心臓麻痺」……。
 その中に「リゾール(洗剤)服毒」という文言がある。亡くなった16歳の女性の下に書かれたものだ。端島には「慰安所」が2カ所あったという。この女性はそこで「働かされていた」可能性があるとのこと。
 22歳「溺死」というのも見える。島から逃亡しようとしたのだろうか。
 あるいは、「心臓麻痺」という死因がやたらと目につく。しかし、これらの「死因」はあまりあてにできないとのこと。強制労働をさせられた人から聞き取ったところでは、リンチを受けたという証言が複数あり、中にはそれで亡くなった(殺された)人もいたそうだ。埋葬の許可を得るには「死因」を書かなければならず、「撲殺」とは書けないため、こうした理由がとってつけられた可能性もあるのだという。
<以下略>

 8月9日。長崎を改めて「最後の被爆地」にすること、日本政府に核兵器禁止条約を批准させること、そうした訴えが大切なのは言うまでもない。だが、オリンピックの余波もあって、自国の負の面に目を向けようという気運は途切れがちだ。政府もナショナリズムに都合のよい部分(被害者顔で振る舞える面)については、広島・長崎の原爆のことを取り上げるが、都合の悪くなるマイナス面には触れようとしない。自国賛美・自国擁護のナルシシズムに目を曇らされることなく、長崎も広島も、被爆者は日本人だけではなかったという当たり前の事実と、彼らが当時どうして長崎、広島(その他、日本各地)にいたのかということにも思いを至らせなければと思う。

<追記・訂正
3年前の8月8日※当初勘違いして今日と書いてしまいました。お詫びして訂正します)、翁長・前沖縄県知事が亡くなった。長崎の被爆者とともに追悼する。

<追々記>
今年4月に亡くなった長崎の被爆者・小崎さんの記事もご覧ください。
「孤独と出会い」最期まで発信 被爆者小崎登明さん死去:朝日新聞デジタル





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