オリンピックに「地の利」というのはあるのかも知れない。こんな高温多湿な悪条件で競技に臨む選手たちからすれば、こういう気候に「慣れている」ことは大きなアドバンテージだろう。しかし、ある選手は自由に練習できるのに、他の選手は練習時間さえ制約されているとか、あるいは、ある選手は個別に最適の食事が用意されるのに、他の選手は定食というのでは、不平不満が出ても無理はない。「地の利」と称されるものが、このように「見えるかたち」になったら、それは「地の利」ではなく、ただの「不公平」だろう。むろん「地の利」だけで成績が上がってメダルが「量産」されるという話ではないだろうが、日本の選手だけが努力を積み重ね、五輪に人生の一時期を賭けているわけではないのだ。
7月31日付「赤旗」のインタヴュー記事で、和歌山『正木道場』館長の正木照夫氏がこんなことを話している。
(菊池のぶひろ氏のブログ「議会だより」からの孫引き)
東京五輪、日本金メダルラッシュの裏には・・・柔道8段・正木照夫氏 - 菊池のぶひろの議会だより
コロナ禍で行なわれる今大会は、公平な条件で競うという観点が欠けているように思えてなりません。
有利な日本勢
柔道では日本勢が多くのメダルを獲得しています。各選手とも体が良く絞れ、スタミナ十分。試合に向けた稽古や調整がうまくいったのだと思います。それもそのはず、柔道日本選手は選手村に入らず、トレーナーや栄養士などのスタッフを引き連れてチームが用意したホテルに宿泊しているのです。食事、治療、練習は好きな時間に行える。まさに最高の環境です。
それに比べて選手村に入った選手はどうでしょうか。感染対策のため同行できるスタッフも限られ、食堂が混み合うと食事時間をずらすこともあるといいます。外出も許されず、練習時間も限られます。その上、選手村でも感染者が出ていることが精神的なストレスになるでしょう。
日本選手は柔道のほかにレスリング、卓球、バドミントンなどが選手村に入らず他の施設を拠点にします。それを大手新聞やテレビ局は「地の利」などと表現し、好意的に報道していました。自慢できることなのでしょうか。私は疑問に感じます。
いくつもの金メダルを期待される競技は強化費も潤沢で高級なホテルなどに陣取ることができますが、そこで他に差をつけるのは、公平・平等をうたうスポーツの精神に照らして、正しいでしょうか。
私は高校教員時代に選手、指導者、審判員として何度も国民体育大会(国体)に出場しました。国体では、出場者が泊まる宿すべてに「大会標準献立レシピ集」という冊子が配られ、宿はそれに従って大会期間中の朝食と夕食をつくります。すべての宿で同じ日に同じ食事を提供し、選手間で食事による有利不利がつかないようにしているのです。
スポーツが持つ平等な精神はこんなところにも表現されているのだなと感心したものです。
仕切り直して
今大会はメダル至上主義・勝利至上主義にとらわれ、スポーツ精神をないがしろにしているようにみえます。
コロナ禍では来日前の練習環境から国や地域、協会ごとに格差が生まれていました。感染拡大がおさまらない中で強行した五輪は、競技の公平さにも大きな歪みををもたらしています。
そもそも感染者数が3000人を超える超える大変な事態で、他国ならロックダウンも検討されるような規模だと思います。それなのにオリンピックは続き、大手新聞やテレビは誰ががんばった、誰が金メダルといった話題を前面に出し、まるで感染危機を隠しているかのよう。一人の国民として、この状況はおかしいと感じています。……
東京五輪に限らず、これまでのオリンピックでも開催国の選手が有利になることはあったかも知れないが、運悪く「実力」を出し切れないで終わってしまった外国人選手たちからすれば、こういう事実は知りたくもないだろうし、一般の日本の選手にしても不愉快な話だろう。それでも日本の選手たちは「柔道、レスリング、卓球、バドミントンは別格だから」と言うのだろうか。もし、そうなら最初から歪んでいるというしかない。
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