ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

三菱電機の検査不正のこと

 三菱電機の長年にわたる検査不正が発覚した。遅くとも(「早くとも」!ではなく)1985年にはすでに不正をしていたという。今から35年以上も前の話だが、これよりも前からやっていたということになると、あの「バブル経済」以前ということになる。驚愕である。
30年超続いた不正の根 三菱電機の「おごった考え」:朝日新聞デジタル

 7月2日付毎日新聞の記事より引用。

検査不正放置35年以上 三菱電機、技術過信で自浄作用働かず | 毎日新聞

…今回発覚した検査不正は遅くとも1985年には存在していたうえ、90年からは、実際はやっていない検査を適正に実施したように装うため、検査成績書に別の検査データを自動転載する「偽装プログラム」まで利用していた。組織ぐるみの意図的な不正だったことは明白で、杉山社長は「非常にショック。組織的な不正と認めざるを得ない」と肩を落とした。
 顧客と契約で定めた検査をないがしろにし、信頼を裏切る行為がなぜ長年はびこってきたのか。背景について杉山社長は「自分たちの技術を絶対視し、『我々が考えた品質』の水準で判断した。お客様との関係よりも自分たちの論理を優先していた」と認めた。
 また、不正は「(経営陣に)伝わらなかった」と述べ、歴代トップも認識していなかったと指摘。同社は事業部制を敷き、各部門の権限が強い。意思決定の迅速化などのメリットがある半面、組織内の風通しが悪く自浄作用が働かない企業風土が問題の根底にあることをうかがわせた。

<中略>
三菱電機では近年、検査不正や品質問題が再三起きたにもかかわらず、情報開示に消極的だった。説明責任を果たさない同社への批判が強まり、今回ようやく記者会見を開いた形だ。不正が繰り返される根底には、こうした内向きな企業体質も影響していそうだ。
 同社によると、社内調査で鉄道車両空調機器の検査不正が判明したのは6月14日。その後、28日に鉄道のドアやブレーキに使われる空気圧縮機ユニットでも検査不正が見つかった。
 ところが、同社はすぐ事実を公表せず、29日の株主総会でも一切言及しなかった。翌30日、国土交通省経済産業省三菱電機に対応を指示し、鉄道会社も一斉点検を強いられるなど影響が広がると、ようやく不正を説明した1ページの文書を公表した。
 2日の記者会見で、株主総会で公表しなかった理由を問われた杉山社長は「(事実確認が)不十分な状態で話すことは逆に不安感を与える。速やかに調査したうえで広報しようという結論になった」と説明。その上で「株主との年に1度の対話の機会に出せなかったのは反省すべき点で、改善を図りたい」と述べた。

 だが、同社の「隠蔽(いんぺい)体質」は今回に限ったことではない。2020年1月、サイバー攻撃によって政府機関とのやりとりなどが流出した可能性を発表した際も、問題認識から半年以上が経過しており、閣僚らが相次いで「速やかに公表すべきだった」と批判した。
 過去の不祥事での処分の甘さも指摘されている。18年以降、ゴム製品や半導体製品などで検査不正や品質問題が相次ぎ発覚したが、社内処分は担当役員の報酬の一部返納にとどまった。
 19年8月に20代の新入社員がパワハラを受けて自殺した問題では今年3月、杉山社長を含む役員の報酬減額を発表したが、近年の不祥事で問題の責任を取って辞任した役員はいなかった。21年3月期の役員報酬は杉山社長が2億円、その他の執行役は1億円前後に上り、経済界では「身内に甘い」との批判も出ていた。

 「自浄作用が弱かった」。杉山社長は過去の不祥事の教訓を生かせなかった反省を述べ、引責辞任を表明したが、原因究明や関係者の処分はこれからだ。
<以下略>

 辞意表明した杉山社長は大卒後1979年の入社ということなので、ひょっとしたら杉山氏が入社した段階でもうこの「システム」で会社が動いていた可能性がある。まったく信じがたい話だ。「普通の会社」だったら、間違いなくつぶれているのではなかろうか。「信頼回復」などおこがましいし、その種の語が当事者の口から出るとすれば、それ自体が「甘え」ととらえていいレベルだ。

 三菱系企業の不正は以前から続く。三菱自動車の「リコール隠し」や「燃費改ざん」、三菱マテリアルの検査データ書き換え…(三菱電機には2019年8月に新入社員がパワハラを受けて自殺した件もある)。三菱だから「つぶれない」「つぶさない」が繰り返された結果、不正を「不正」ととらえられない空気(体質)がグループ内に蔓延し、よどんだままになっているのではないか。

 たぶんこれは三菱に限った話ではないだろう。実際、データの改ざんは、神戸製鋼日産自動車などでもやっていた(まあ、そんなことを言い出したら、あのフォルクスワーゲンも排ガスのデータを操作していた)。今の政権の隠蔽改ざんの温床はこうした企業体質にあると考えるのも、あながちこじつけではないように思う。アベシンゾーは確かに大ウソつきだが、アベシンゾーが一人いれば隠蔽改ざん政府ができるわけではない。

 ハンナ・アーレントが「政治における嘘」の中でこう書いていた。

……嘘がうまければうまいほど、また、信じ込ませる人が多ければ多いほど、嘘つきは最後に自分自身の嘘を信じるようになりやすい…。…(しかし、)通常の自己欺瞞の過程が逆転して…欺瞞が自己欺瞞で終わ(らず)…欺瞞者たちは自己欺瞞から始めている(場合がある)…。おそらくその高い地位と驚くべき自己過信のために、かれらは…広報活動の場での圧倒的成功を信じて疑わず、人びとを操作する無限の可能性について…確信していたので、人びとの心をとらえる戦いにたいする漠然とした信頼とそこでの勝利を予期していたのである。それに、かれらはいずれにしても事実から乖離した世界に住んでいたので、聴衆が信じ込むのを拒否するという事実にたいしても、他の事実と同じようにちっとも注意を払わないでいることがむずかしくなかったのである。
(山田正行訳『暴力について』、32-33頁。)

 この妙な自信過剰と他人への見下し、つまりは、驕りと蔑み――これらを毎日毎日、嫌というほど見せつけられている我々にとって、現政権を三菱企業のように庇護しなければならないいわれは全くない。あらゆる機会で逐一NOの意思を示す必要がある。

 国政選挙の前哨戦と言われる明日の都議選も、そうした意思表示の機会だと思う。



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