ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

辰鼓楼と「偽造、捏造、アベシンゾー」

偽造、捏造、安倍晋三(ギゾウ、ネツゾウ、アベシンゾウ)」――東京都議選の応援演説で、ある衆議院議員が述べた言葉を弁護士の澤藤統一郎さんが紹介している。笑えるけど、笑えない(けれど、笑う)。
(6月25日付「澤藤統一郎の憲法日記」澤藤統一郎の憲法日記 » 2021 » 6月

 アベスガの公文書には、これに「隠蔽」が加わる(「ゾウ」じゃないが…)。
 日本学術会議の会員任命拒否問題で、任命されなかった6人の研究者がその理由を明らかにするために情報開示請求をしたが、内閣府内閣官房は開示しない決定をした。内閣府の言う「公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれがある」という不開示理由は、要するに、「ない」ではなく「あるけど見せない」である。「黒塗り」さえもしようとしないこの姿勢、アベスガが国民と向き合う気がないことをまたしても表出させている。アベスガの公文書には「私物化」という語も加えなければならない(これも「ゾウ」じゃないが…)。
日本学術会議 6人の任命拒否理由を開示しない決定 内閣府など | 日本学術会議 | NHKニュース

 しかし、同じNHKのWebに清涼剤のような記事もあった。
 兵庫県豊岡市出石(いずし)町に「辰鼓楼」(しんころう)という名の時計台がある。明治14年1881年)につくられたという。地元の観光パンフレットに「日本最古」と紹介され、市の教育委員会が建てた案内板にも「札幌時計台とともに、日本最古の時計台として親しまれている」と書かれている。
 「時計台は、いつ(何月何日)から動き出したのだろうか?」。素朴な疑問を抱いていた一人の地元のそば店の店主は、コロナで店の休業を余儀なくされ、逆にこの機会にと、本格調査に乗り出し、長年抱いていた疑問の答えをついに見つけ出した。しかし、判明した日付は困惑する「真実」だった。

 これは絵本になるような話だと思う。NHK神戸放送局・田口めぐみ記者の6月28日付記事より部分引用する。

WEB特集 「日本最古じゃなかった」正直に言うべきか、どうしよう… | NHKニュース

<前略>
「時計台は、いつから動き出したのだろう」
その謎が頭から離れなかった男性がいました。
出石名物の皿そば店の店主、渋谷朋矢さんです。

実は「辰鼓楼」の時計は明治14年の何月何日に動き出したのか、詳しい日付までは分かっていなかったのです。
毎年70万人が観光に訪れていた出石の町も、いまは新型コロナの影響を受けています。
渋谷さんの店も、一時休業を余儀なくされ、客は大幅に減りました。

地元の歴史や文化について調べることが大好きな渋谷さん。
時間ができたいまこそ、その歴史をひもとこうと考えたといいます。

「時計が動き出した日が分からないから、記念日のイベントもできなかった。でもこれを調べることによって、コロナが収束したあとに役に立つのではないかと考えて。うちも創業以来の危機だけど、逆境の中だからこそと思ってね」(渋谷さん)

渋谷さんはまず、「出石町史」を調べました。
しかし、何も載っていません。
続いて新聞を調べようと地元の図書館を訪ねましたが、残念ながら収蔵されていたのは明治34年以降のもの。
明治14年の新聞は見つかりませんでした。
さらに時計を寄贈した医師の子孫にも問い合わせましたが、手がかりは得られませんでした。
町に2軒ある時計店を訪ねても「うちは明治時代には商売していませんわ」との答え。
最後の手段にと、町内会の広報紙に「情報を求む」と呼びかけましたが、全く反応がありませんでした。

しかし、ついに手がかりが見つかります。
渋谷さんが訪ねたのは、出石町内でいちばん古い弘道小学校。
出石藩の藩校の流れをくみ、およそ250年の歴史があります。
校舎はかつて、「辰鼓楼」の隣にありました。
「辰鼓楼の歴史を調べているんです。謎を解きたいんです」。
渋谷さんの突然の訪問に少し驚いた先生たち。
しかし、校長がひと言。
「うちに古い文書が残っている」
そう言って校長室の金庫から取り出したのは、明治時代の学校の日誌です。
全部で12冊あり、そのうち時計が設置された明治14年のものは2冊ありました。
1冊目は、1月から7月までの日誌。
そこには時計についての記載はありませんでした。
2冊目は、8月から12月の日誌。
それは、9月8日のところにありました。

九月八日
辰鼓楼、修繕落成ニ付、本日十二時ヨリ報鼓ス

「辰鼓楼」と「修繕落成」の文字です。

筆で書かれているため、渋谷さんは写真に撮って豊岡市文化財室に確認してもらいました。
時計が動き出したのは、やはり9月8日と確認できたと連絡がありました。

140年ぶりの大発見。
しかし、渋谷さんは最初はどうしようと思ったそうです。
実は、札幌の時計台が動き出したのは8月12日。
「辰鼓楼」が動き出したのは、その27日後。
日本最古の時計台ではなくなってしまったのです。

「時計が動いた日付が分かったことはよかったんだけれども、国内で2番目であることが確定しちゃいました。町内のみんながどう受け止めるか、ちょっと心配でした」(渋谷さん)

渋谷さんは、町の人たちに正直に「日本最古の時計台ではなかった」と伝えました。
町の人たちは驚きましたが「すごいね。よく調べたね」と、ねぎらったそうです。

「ああ、よかった。うそを言わなくて」

実は地元の但馬國出石観光協会の人たちは、案内板や観光パンフレットに「日本最古」と紹介されていても、そのウラが取れないため、いつも正直に「日本最古かもしれない」と明言を避けて答えていました。
これまで取材の問い合わせがあっても「わからないんです」と説明してきたそうです。
ようやく事実が分かった今、これからは堂々と「日本で2番目に古い時計台」と名乗っていくことにしました。

<以下略>

 久しぶりによい話にめぐりあった気がする。
 しかし、もし、弘道小学校の明治の「学校日誌」にウソが書かれていたら…などと下劣なことを想像してしまう。もし、「日本で一番古い時計台」をうたい文句に町おこしをしようと考える者の中にアベシンゾー(あるいはその取り巻き)のような輩がいたら、9月を7月に書き換えろと言い出しかねない…と。そんな嫌な想像をしてしまうのが21世紀の日本の現実なのである(出石町のみなさん、大変失礼なことを申し上げましたが、アベに悪意はあっても、みなさんには悪意はないので、念のため)。
 アベシンゾーの国には「偽造、捏造」に「虚像」(キョゾウ)も加えなければならないと思う。恥ずべきことだが…。


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