ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

野口健氏の警鐘「遭難の典型的パターン」

 山登りが好きな友人が「一緒に行こう」と誘うので、むかし何度か登山をしたことがある。奥穂、北岳…。高所恐怖症のきらいはあるが、山頂から見る大パノラマは確かに雄壮で、登山愛好家たちの気持ちが少しはわかった。夜に見た星空もまた忘れられない。「満天の星」とか「星降る夜」とはこのことかと思った。天の川とか銀河がなぜ「河(川)」なのか、実感できた。人類は…などというのは大げさだが、ここ百年、二百年を除けば、世界の人々は何千年にも渡ってこういう星空を見上げてきたのかなと思った。
 だが、登山には個人的には難点もある。山登りに出かけると、必ずと言っていいくらい雨が降る。一度ずぶ濡れになって下山したら、今で言う「低体温症」になって半日以上震えが止まらず、大変な目に遭った。「山の天気は変わりやすい」という以上の危険を肌身で感じた気がする。その後、性懲りもなく何度か山行する機会はあったが、今は、山歩き(散策)はしたいと思っても、頂上を目指そうという気はなくなった。

 登山家の野口健が五輪に警鐘を鳴らしているという記事を読んで、自分のつたない登山経験を思い起こした。「今の五輪強行ムードは登山なら遭難するパターン」という彼の言葉は身にしみる。

 6月27日付「日刊ゲンダイ」より引用する。

【東京五輪】登山家・野口健氏が警鐘「今の五輪強行ムードは登山なら完全に遭難するパターン」|日刊ゲンダイDIGITAL


この状況でなぜ五輪を開催するのか、それが全く伝わってこない。どうしても五輪をやりたいなら、国民には想定されるリスクを正直に伝えるべき。リスクと開催意義を天秤にかけたうえで、「これくらいのリスクを背負ってでもやる意義がある」ということを明確にすればいい。僕が政治家なら、まず開催のメリットとデメリットを洗い出してそれをはっきり伝えます。

 1964年の東京五輪は戦後復興のシンボルという意味が強かった。新幹線ができたり、いろいろな施設ができたり、突貫工事で事故や過労死で亡くなった方もたくさんいた。それでも当時は、ある程度の犠牲なら五輪をやるんだと、ブレがなかった。今回の東京五輪も、コロナによってかなり忘れられているけど、元を辿れば震災復興がテーマだった。今やすっかりそのイメージは吹き飛び、政府は「人類がコロナに打ち勝った証として(五輪を)実現する」と繰り返すようになりました。

何度も「コロナに打ち勝った証」と言うが、打ち勝てなければ五輪を中止するという意味なのか。政治家の発言には意図がなければいけない。あれだけ連呼して強調するからには、コロナが収束せず、打ち勝てなかった場合は中止や延期を決断するんだと思っていました。ところが、そこには何も意図がなかった、何も考えていなかった。それなのに(ある自民党議員が)「五輪が始まれば日本国民は盛り上がる」とか、それは確かにそうかもしれないけど、あなた達が言っちゃダメだよと。国民はそこまでバカじゃない。

 日本は他国に比べ、のまれやすい国。それを逆手にとって「リスクを負ってでもやる意義が五輪にはこれだけある」と演説して盛り上げれば、流れは変わったかもしれません。

 それをせず、何度も壊れたテープレコーダーのように「安全安心」と聞かされていると、僕の頭が悪くなってきたのかなと悩む。すごくバカにされている気がするし、不誠実。単に五輪に反対というより、五輪を押し進めようとする人への不信感なんですよね。

今のムードとして、「なんかヤバイ事になりそう、でも引くに引けない。もうやるしかないのか、じゃあやるか!」という状態。これは登山なら遭難する典型的なパターンです。冒険するとき、僕ら〝山屋〟は最悪の事態を想定する。万全の備えをするのと同時に、根拠がなくても「流れが悪いぞ」「ピンとこない」という時は一回引くんです。登山家はそれができるかできないか。自分の感覚で引けない人は大体、亡くなられています。

■引いたら負けという日本人の考え方

 僕が20代前半の頃、登山家の大先輩が集会でこっそり指を差して「野口、アイツが次に遭難するぞ。その次はアイツ」と言うんです。それがほとんど当たる。要は遭難しやすいタイプとしにくいタイプがいるということ。難しい山を登る人は勇敢で恐怖に強いイメージを抱いていたけど、そういう人は命を落としやすい傾向にあります。

(登山家の)植村直己さんは「私は人一倍臆病者です」と公言してきた。しかし、スポンサーが降りたり支援が減って追い詰められている背景がある中、マッキンリーという山に悪天候にも関わらず突っ込んで亡くなられました。遭難前日、彼が日記に書いた最後の一文が「何が何でもマッキンレー、登るぞ」。

 だから、五輪に「何が何でも」突っ込んでいくのが本当にいいのか。なぜ突き進むのか考えたとき、日本人は引くのが苦手なのかと思いました。来年の冬季五輪は北京。日本がやめて中国が成功したら「日本は負け。中国は勝ち」、そう考えているのかと。しかし、引いたら負けという考え方自体がまずい。無謀に突っ込む方が負けですよ。
<以下略>

 日本人が他国の人たちよりも(国民性として)「引くのが苦手」かどうかは異論なしとしない。単にそういう人たちが政権を担っているということではないか(別の人たちだったら、今年の春の時点で撤収を決め、損切りをしていたと思う)。

 政府を見ていると、負けを取り返そうと持ち金を賭けているうちにどんどん負けが膨らみ、諦めきれずに借金をしてさらに金をつぎ込もうとしているように映る。これは「ギャンブル依存症」と何がちがうのか。



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