6月24日の宮内庁の定例記者会見で、「拝察」というオブラートにくるんだ言葉で天皇の「心境」を伝えた西村・宮内庁長官の「間接話法」が波紋を呼んだ。
「…オリンピックを巡る情勢としまして、天皇陛下は現下の新型コロナウイルス感染症の感染状況を大変ご心配しておられます。国民の間に不安の声がある中で、ご自身が名誉総裁をお務めになるオリンピック・パラリンピックの開催が感染拡大につながらないか、ご懸念されている、ご心配であると拝察しています。私としましては、陛下が名誉総裁をお務めになるオリンピック・パラリンピックで、感染が拡大するような事態にならないよう組織委員会をはじめ関係機関が連携して感染防止に万全を期していただきたい、そのように考えています。」
「日々、陛下とお話ししている中で、私が肌感覚でそう感じている。」
これには同席した記者の間にも「動揺」が走ったようだ。発言の内容を記事にしていいのかどうか、戸惑いが見える。
(質問)仮に拝察でも長官の発言としてオンだから、報道されれば影響あると思うが、発信していいのか。
(長官)はい。オンだと認識しています。私はそう拝察し、感染防止のための対策を関係機関が徹底してもらいたいとセットで。
(質問)これは陛下のお気持ちと、受け止めて間違いない。
(長官)私の受けとりかたですから。陛下はそうお考えではないかと、私は思っています。ただ陛下から直接そういうお言葉を聞いたことはありません。そこは誤解ないようにお願いします。
(出所:「陛下は開催で感染拡大しないか懸念と拝察」宮内庁長官 - 東京オリンピック:朝日新聞デジタル)
異例の「展開」には各国メディアもすぐに反応した。
米紙「東京五輪に天皇から不信任票」 各国で発言報道 - 東京オリンピック:朝日新聞デジタル
これに対して、加藤官房長官は同日の記者会見で「宮内庁長官自身の考えを述べられたと承知している」と語り、スガ総理らもこれに追随した。もし、これが他の要人の発言だったら「真摯に受け止める」などと「平常運転」で対応しただろうが、そう真に受けられない「制約」がある以上、この「失礼」な対応にもいたしかたない面はあるだろう(言い方はともかく…)。
ネット上には、五輪開催に対する国民の不安や懸念を天皇も共有しているとか、天皇は民意を大切にしている、といった記述が目につく。天皇はたぶん善良な人で、コロナ禍での五輪開催を本心から心配しているというのに異議はないが、腑に落ちない面もある。それは事がメディアを通じて動いているからだ。
もし、こんな状況で五輪を開催することに天皇は重大な懸念を抱いている(何とかしろ!)と政府に伝えるのが目的だとしたら、宮内庁長官が(メディアを介さずに)直接スガか政権中枢に言えばいい。それをしない理由(思惑)の1つは、天皇は東京五輪の名誉総裁として開会宣言をしなければならず、もし東京五輪がパンデミックを招けば、関与はしていなくとも無関係ではいられない。それを避けるためには、まず黙っていたわけではないことを見せておく必要がある。のちのち責任論が出るような展開になったときのために機先を制しておく必要があるという理由。もし、パンデミック五輪にでもなったら、天皇の開会宣言は、太平洋戦争の「開戦の詔」に類比されかねない。それは天皇の権威を大いに傷つける。
もうひとつは、五輪開催に前後してデルタ株が猛威をふるい、にっちもさっちもいかない最悪の状況に追い込まれたとき、政府が天皇の「聖断」にすがって五輪を中止する選択肢を残しておくこと。そもそも宮内庁は内閣府の一組織であり、いくら天皇の気持ちの伝聞推量のかたちであっても、政権の意向に公然と異を唱えることはあり得ない。長官が天皇自身に確認をとった上でのことであるのはもちろんだが、開会式1ヶ月前に〝観測気球〟を上げて世論の反応を見ておくというのもありうる話だと思う。
…というのが、小生の個人的想像。しかし、天皇の思いがどうであっても、国民多数の意思として五輪を中止させ、パンデミックを避けるのが最も大切なことだ。「新・東京裁判」などという物騒な語を見かけたが、いくら「戦犯」を見つけ出して咎めても、コロナで被害を受けたり亡くなった人は帰ってこない。今はそうならないようにすることの方が肝心だと思う。
あと4週間だが、まだ、あきらめてはいない。
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