毎日新聞の日曜版のコラムを楽しみにしている。キッチュこと松尾貴史さんの「ちょっと違和感」も毎回スパイシーで痛快だが、心療内科医師の海原純子さんの「新・心のサプリ」もいろいろと考えさせられる。
海原さんによれば、最近ストレスがたまって気持ちがすっきりしない人が増えているように見受けられるのは、ウィルスに対する不安はもちろんだが、それだけでなく、オリンピックに関する政府や東京都の施策やメッセージが一貫性や公平性を欠いていることから、人々をダブル・バインド状態に陥らせているからではないかという。
毎日新聞6月6日付記事より一部引用する。
新・心のサプリ:五輪のダブル・バインド=海原純子 | 毎日新聞
…子どものころ、父親と母親から一つの課題について全く違うことをいわれると当惑して親が信じられなくなったりするものだが、こうしたダブル・バインド状態が今の日本の空気のように思える。
その顕著なものがオリンピックに関するメッセージだ。米政府は5月24日、日本での新型コロナ感染の拡大を受けて渡航警戒レベルを最も厳しい「渡航中止」に引き上げている。その一方で、米国オリンピック・パラリンピック委員会は選手団の派遣に影響はないと強調している。丸川珠代五輪担当相も、「特に影響はない」とコメントした。
これが、ダブル・バインドでなくて何であろう。さまざまな発言は心理的混乱というストレスを生む。加えて、この人だけは特別、このことだけは特例、とする状況は不信感とフラストレーションを生む。オリンピックだけ特別という状況は、人の流れを多くして感染のリスクを明らかに増大させるという不安と共に一方で自粛を余儀なくされて経済的に追い詰められている多くの人の不満を増大させている。つまり新型コロナウイルスの感染という身体へのリスクと共に、心に対してのストレスを与えていることに気が付いてほしい。
本当に、このまま進んでいいのか、後に何が起こるのか。再度政府に多くの国民の不安を伝えて立ち止まらせるには個人の声とメディアの力を合わせることしかない。明らかに人命のリスクの大きいイベントに突き進むことを止められないようなら、今後起こる可能性のある人命にかかわるリスクのある出来事を止めることはできないように思えてくる。その意味で、今回の政府のオリンピックに対するダブル・バインドに私たちがどう対応していくかは、今後の私たちの国の行方を占う試金石といえる。できる限り声を上げたい。
「ダブル・バインド」とは、一般には矛盾した要求(命令)に対処できず、身動きがとれない精神状態に陥ることをいうようだが、Wikipediaには、次のような喩えが載っている。
親が子どもに「おいで」と(言語的に)言っておきながら、近寄ってくると逆に(非言語的に)ドンと突き飛ばすとする。理由がわからない子どもは、次には、呼ばれても警戒してすぐには応じない。すると、呼んでるのになぜ来ないんだと親から咎められる。しかたなく近寄っていくと、またしても突き飛ばされる。こんな繰り返しに、子どもは矛盾を解決できず疑心暗鬼となり、家庭の外も同じような世界であると認識し、他人に対しても同じ接し方をするようになる。その結果、
1)言葉に表れていない意味の裏読みにばかりこだわるようになる。
2)言葉の文字通りの意味にしか反応しなくなる。
3)コミュニケーションそのものを拒否し、逃避する。
のような「症状」が現れるという。
似たものに「ダブル・スタンダード」というのもある。こちらは「二重規範」の名の通り、状況に応じて異なる基準が不公平・不平等に使い分けられることで、皮肉や非難の意味合いが含まれている。ただし、「ダブル・スタンダード」を成立させるには「二枚舌」の使い分けが必要で、それ相応の技量がないとできない。単なるウソの押し通しでは、「舌」を使い分けられた側が困惑・反発するだけだろう。しかし、最近の政府関係者は「ダブル・スタンダード」が破綻しても平気である。破綻や矛盾を質されても、「コメントする立場にない」等と言えば済むと思っているかのようだ。「責任はあるけど、とらない」と同様、すさまじい劣化である。
松尾さんのコラムにも書かれていたが、「海外から、関係者だけでも10万人近くが日本に入るイベントをゴリ押しするのに、国民には「人流を減らせ」と言い、選手村での飲酒について認めるが、飲食店でのアルコールの提供は許さないという。」
(松尾貴史のちょっと違和感:最悪の印象の五輪 負荷かかる医療にさらなる重圧 | 毎日新聞)
こういう「ダブル…」をいちいち真面目に受け止めていたら、それこそ「ダブル・バインド」状態に陥り、上の1)から3)の「症状」が現れても不思議ではない。
すなわち、
1)政府要人が「五輪より国民の命と安全を優先する」と言えば、すべてそれを「五輪優先」と裏読みし、
2)夜8時以降は店で飲食をするなと言われれば、路上で飲食し、
3)そんなおとなたちを見ている子どもや若者に虚無感と失望感が広がる。
(まだ大人じゃない、社会は変えられないし、議論もしない : 希望なき国の18歳 | nippon.com)
海原さんの言うとおり、まさに「国の行方を占う試金石」である。
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