ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

チェルノブイリ原発事故から35年

 チェルノブイリ原発事故が起きた1986年4月26日(午前1時23分)から、昨日でちょうど35年。旧ソ連ウクライナ)の一角で起こったこの事故には、放射能汚染の問題はもちろん、いろいろなことを考えさせられた。

 こうした事故が起こった場合、正確な情報(真実)が隠される傾向がある。それは、好意的に見れば、国民の過度な動揺をおさえるべきだというある種の「配慮」と言えなくもないが、まったくの悪意(責任逃れ)に起因する場合も多々ある。むしろ、後者の方が断然主流であろう。事故が起こったとき、当時のソ連の指導者ゴルバチョフソ連共産党書記長)は、正確な情報が自分のところに上がってこず、外国の報道によって事故の深刻さを認識したらしい。のちに回想録でこの事故のことに触れている。

 政治局には二つの見解があった。ひとつは、パニックを誘発し、それによってさらに被害を大きくすることがないように、情報は徐々に広めてゆくことが必要だという見解である。この見解の支持者たちは独創的とはいえなかった。住民はもちろん、自国の政府にさえ知らせるのが小出しでしぶりがちになることは、他の国々のすべての大きな核の事故に見られたからである。そして今も、やはり、新聞は原子力発電所の故障に関する報道を差止めるか、あるいは初めからかくそうとする試みについて報じている。ところがわれわれのところではもう一つの見解が優位を占めた。情報が入り次第、制限を加えずに、ただし確実なものでなければならないが、すべてを知らせるという見解である。
 私の立場は単純明快だった。七月三日の政治局会議で私はこう発言した。
「実際的問題の決定に際しても、世論への説明に際しても、いかなる場合もわれわれは真実を隠すことに同意しない。われわれは起こったことの評価と結論の正しさに責任をもつ。われわれの作業は今、国民と全世界の注目をあびている。中途でやめて、ごまかすことができると考えることは、許されない。起こったことをすっかり知らせることが必要だ。臆病な政策——それはあるまじき政策だ」
 ルイシコフ、リガチョフ、ヤコブレフ、メドヴェージェフ、シェワルナゼが私を支持した。チェルノブイリはこうしてグラスノスチ、民主主義、情報開示のテストケースとなったのである。

(『ゴルバチョフ回想録 上巻』、新潮社、381頁。)

 しかし、それは政治指導者の一存で一変するものではない。ゴルバチョフ自身が述懐するように、「……歴史の皮肉か、それは途方もない重さでわれわれが始めた改革にはねかえり、文字通り国を軌道からはじき出してしまった……。」(同、377頁)「抵抗勢力」なるものが目に見えればかえってやりやすいかもしれないが、“最大の敵” は長年の党国体制が国民のあいだに植え付けた「無気力」「無関心」「無責任」あるいは「自己保身」といった精神構造の方だ。これを崩すのは容易ではない。さらに言えば、崩せば崩したで、予想を超える奔流となって、制御がきかなくなる。

 ゴルバチョフは事故直後に聞いた二人の専門家(科学者)の発言が今でも忘れられないと書いている。

 二人はわが国の原子力エネルギー生産の先駆者で、この技術の開発者としての栄誉をになっている学者だった。ところがわれわれが彼らの口から聞かされたのは、むしろ世俗的な判断に近いものだった。恐ろしいことは何も起こっていません。こんなことは工業用原子炉にはよくあることです。ウォトカウォッカを一、二杯飲み、ザクースカ(軽食 前菜)をつまんで一眠りすれば、それで終わりですよ。
(同、380頁)

 ゴルバチョフほどではないが、似たような驚きは、10年前の3月、とある職員室で小生も経験したことがある。
 若い体育の先生が「わたし、原発事故のあと何日も外に出ていて、降ってきた放射性物質を浴びているかも知れないんですけど、大丈夫ですかねえ?」と言った。すると、傍らにいた養護教諭が「自然界にも放射線はあるのよ。あなた毎日のように外で放射線を浴びてて、そんなに日に焼けてるんだから、大丈夫よ。」と言ったのだ。びっくりして、その養護教諭の顔をまじまじと見てしまった。「……というのはウソで」という次の言葉を待っていたのだが……。

 今朝の毎日新聞の「火論」の最後で、大治朋子さんがこう書いている。

国連のグテレス事務総長が今年1月に語ったという言葉には深く共感した。世界で「ホロコースト否定」が再燃する背景には「真実」「科学」を軽視するコロナ禍での風潮があり、「真実をないがしろにする人々は、最終的に自分自身をないがしろにすることになるのだ」と。
 確かにコロナ禍では非科学的「対処法」が拡散され、それを信じ体に有害な行為をした人もいた。
 ウソを許容する社会は歴史を書き換え、分断を深め、やがて自らの命や未来までも危うくするのだと再認識したい。

 小生は何かの専門家ではないが、毎日こうして書きなぐったものを発信し続けていると、読んだ人の中に「これはどうなの?」と思われる内容があるかもしれないし、フェイクな内容が気づかずにそのまま通っているかもしれない。せめて「真実をないがしろにしない」と自戒しなくてはと思う。



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