ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

エピクテトス『人生談義』第1巻・第21章

 病院の待ち時間にエピクテトス『人生談義』(國方栄二訳 岩波文庫)を読んでいる。
 エピクテトスはローマ時代の「ストア派」の人。生まれはトルコの西南、エフェソスの近く。奴隷身分から身を起こしたがのちに解放され、哲学教師として80歳まで生きた。ソクラテスを尊敬していて、同様に物を書かない人だったが、弟子たちに語った話の一部が書き留められて、この『人生談義』という本にまとめられた。漱石もこれを愛読したとのこと。2000年前の話とはいえ、日進月歩の産業や技術などとはちがって、人間が抱える問題は基本的にそれほど変わらないのだろう。

 その第1巻・第21章には「驚嘆されることを好む人たちに対して」という(おそらく一番)短い章がある。この21章の全文―—

 人生においてしかるべき姿勢* を有するのであるならば、外に向かって口を開かぬことだ**。ねえ君、何を得たいのかね。私は自然本性にしたがって欲求したり、忌避したりして、自然本性のままに衝動を感じ、反発し、さらに計画し、決心し、承認するのであれば、それで満足だ。なのに、どうして君は焼き串を呑み込んだかのようにして*** 歩き回っているのか。
「出会った人が私に驚嘆し、私に付きしたがいながら「ああ、偉大な哲学者だ」と叫んでほしかったのだ」
 君が自分に驚嘆してほしいと思うのはどんな人たちなのか。君がよく「気が違っている」と言っている人たち**** のことではないのか。そうするとどういうことになるのか。君はそんな気が違っている人たちに驚嘆してもらいたいのか。

* 物事に対する姿勢。スタンス。
** 自分の態度や姿勢を外から認めてもらおうと思う人に対して警告している。
*** 大袈裟なふるまいをすること。気取った態度を見せること。
**** 哲学者のような言動ができない人たちのこと。一般の大衆。


 似たような話はたびたび目にするのだが、例えば、永井均さんの『子どものための哲学対話』(講談社 1997年)には、穴掘りをする二人の男の子のイラストがあり、片方は「どうだい、見てよ、僕の掘ったこの穴!」とアピールし、他方は、「ああ、穴を掘るのは楽しいなあ」とひたすら穴を掘っている。

 あるいは、小泉吉宏さんの『ブッタとシッタカブッタ③』(メディアファクトリー 2003年)の4コマには、ハチマキをしてガリガリと猛勉強しているブタとこつこつ楽しみながら勉強しているブタが描かれていて、ハチマキをしているブタの方は「よし、俺は努力家だ!」とリキんでいて、もう片方は机に向かって無心にカリカリとやっている。付いているコメントは、「努力している」と自覚している作業は辛いと思うか自己満足に慢心する、一方、はたから見ると努力しているように見える作業でも、本人が大好きでやってると、それは楽しい♫ である。

 周りから承認されたいと思うことは人の基本的な欲求だと思うし、これが失われるとアイデンティティが揺らぐかもしれない。けれども、まあ齢を重ねていくと、だんだんどうでもよくなっていく傾向はある。ところが、こういうのは一線から脱して世の中を離れたところから眺めているから、そう達観できるのであって、渦中にある人間は決してそうはならない。特に、自分には「次がある」と思っている人たち ―— 例で挙げるのもなんだが、西村大臣や河野大臣らは典型的で、こういうのは年齢とは直接関係ないのかも知れない。気の持ちようもあるが、最近の高齢者はみんな “若い” し……(「実年齢8がけ理論」にしたがえば、満80歳で64歳、満70歳で56歳、満60歳で48歳……実感としては、確かにそんな感じ)。

 とはいえ、年相応というのもあるから、内発的なことをしたいと思って、あまり “はしたないこと“ にならないよう、自戒したいと思ってはいる。

なお、エピクテトスを敬愛する山本貴光氏と吉川浩満氏による対談形式の『人生談義』の紹介記事(連載・第1回)は以下。

第1回 元祖・自己啓発哲学者、エピクテトスって?|人生がときめく知の技法|山本 貴光,吉川 浩満|webちくま
人生がときめく知の技法|webちくま




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