ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「オードリ-・タンの教育論」を読んで

 朝日新聞の「不登校からIT相 オードリー・タンの教育論」という連載記事を興味深く読んでいる。2月27日付の記事(連載・第4回)では、中学卒業を前にしたタンさんと家族の様子が取り上げられていた。タン(唐鳳)さんは高校には進学しないと意思表示するのだが、本人はもちろん、親にとってもこれは重大局面である。

 以下、要約しながら引用する。

道は決めていた オードリー・タン氏、進学せずITへ:朝日新聞デジタル

 中学3年生になったタンさんは母親に「自分を見つめ直すために、しばらく家族と離れて生活したい」と言い出した。誰にも邪魔されない場所で、自分の心を整理したいというのだ。彼は本もパソコンも持たず、人里離れた山小屋で自炊生活に入る。どれくらい一人でいたのだろうか。友人に宛てた手紙には「過去を振り返ることで、失った心を取り戻した」と記されていたという。
 山小屋生活から戻ったタンさんは、両親に「高校には進学しない」と伝えた。「情報技術を学びたいけど、高校にはその科目がない」というのだ。父親は米国留学を薦めたが、興味を示さなかった。彼は中学へ通うのもやめ、IT関連企業のホームページの管理を手伝い始めた。画期的なソフトウェアをいくつも開発し、米国のシリコンバレーに滞在して知識や技術を吸収した。その後、台湾に戻ったタンさんは、2000年、19歳のときにITコンサルティング会社を立ち上げ、プログラミングやソフトウェアの開発を続けるうちに、その名前と才能を広く知られるようになる。

 しかし、子どもから「高校に進学しない」と言われたら、親はびっくり仰天だろう。このとき親はどう感じたのだろうか?
 父親の光華さんはこう語った。(聞き手:石田耕一郎・記者)

 唐鳳は当時、理数系の能力がとても高かった。私は将来、物理学の教授になり、ノーベル賞も狙えるのではと期待していた。だから高校に行かないと聞いたときには本当に驚いた。中学の校長先生を交えて話したが、唐鳳は「プログラミングに興味がある。自分の学びたいことを教えてくれる教師は高校にはいない。ネットを通じて勉強はできる」と譲らなかった。高校に通わないことが将来に及ぼす影響も心配したが、最後は本人の考えを受け入れた。親として勇気のいる決断だったが、それまでの唐鳳の生き方を見てきて、本人を信用した。情報が発達した現代社会では、子どもの方が親よりたくさんのことを知っているかもしれない。私たちは子どもに対し、謙虚になった。動機がポジティブなものなのか、ネガティブなものなのか、また、子どもの選択が、世の役に立つことなのかどうか、自暴自棄が原因でないかなどを見た上で、大人は最後は子どもを助けつつ、いつでも愛情をもって見守っているよと知らせることが大事だと思う。
 唐鳳は17、18歳で家を出た。IT業界で成功して世界各国に出張するようになっても、時折会って話をしていた。唐鳳は影響力を持つようになった後も、金銭的な利益のみを追求するのではなく、開発した技術を理想的な世界の実現に役立てるようにしている。唐鳳のこういう姿勢を私は支持している。

(※太字は当方が施した)


 この親にしてこの子ありというべきか、台湾だからこそのオードリ-・タン、そして、ネット世界たればこそのこの天才ありというべきか……。あとからふりかえれば成功物語として語れることばかりではないかも知れないが、どうであれ、親としては最後は本人が飛び立っていくのを見送るしかない。

 親として立派だったと思うのは、子どもに対して “謙虚” になれたことだろう。子どもを「保護の対象」とか「自分の人格の一部」と見ていたら(多かれ少なかれそういうのがあるのはなかなか否定できない)、たぶん、これは難しい。しかし、それを特殊な親の存在をもって説明し、称賛して終わりにするのではなく、子どもを “対等” な人格として尊重できる文化的背景づくりにまで話を広げたい。森発言をめぐる最近の批判的世論を見ていると、この国でもその芽は十分あると思うので。



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