ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「2.26を忘れない」

 いわゆる「二・二六事件」は、1936年2月26日、陸軍青年将校らが起こしたクーデター未遂事件だが、それから81年後の2017年2月26日、財務省近畿財務局の職員だった赤木俊夫さんは、上司からの指示を受けて、初めて文書の改竄を行い、一年後の3月7日に命を絶った。平和な日常に突然降りかかってきたこの改竄事件によって、赤木さん夫妻の人生は一変してしまう。

 2月26日付NEWSポストセンブンで、大阪日日新聞記者の相澤冬樹さんが昨日(2021年2月26日)妻の雅子さんから聞き取った話を紹介している。話の順番を一部入れ替え、以下に要約・引用する。

森友学園問題、赤木さん妻「運命の2月26日を決して忘れません」|NEWSポストセブン

 「今日2月26日は、私たち夫婦にとって忘れられない日です」と雅子さんは話す。4年前の日曜日、この日、俊夫さんはご機嫌だった。森友事案への対応で連日激務が続く中、久しぶりの休日で、まず夫婦で神戸・三宮の行きつけのセレクトショップを訪れ、お気に入りのブランド・インコテックスのパンツを2本買った。これからの季節にぴったりの夏もののパンツ。
 俊夫さんは、お気に入りの服を初めて着るのはいいことがある日と決めていた。このパンツもそうするつもりだったはずだが、その後、事件が起こり、穿く機会のないまま、今も自宅のクローゼットにしまわれているという。
 買い物の後、俊夫さんが「梅林公園に行こうか」と言い出した。ちょうど梅の季節。暖かな日差しの陽気のもと、梅は満開を迎え、あたりに梅のかぐわしい香りがたちこめていた。二人は近所の梅林公園で、「満開やね」「いい香りやわ」と語り合っていた。すると、俊夫さんの携帯が鳴った。職場からだった。電話が終わると俊夫さんは言った。
「上司が困っているから僕、助けに行くわ」。笑顔でこう言い残し、職場に向かった。
……
 その日を境に俊夫さんは少しずつおかしくなっていったという。そして1年。俊夫さんの職場の不正行為について、新聞に記事が出た。「(俊夫さんが)やらされたこと、これやったんや」と雅子さんは思った。その後、俊夫さんは自宅で自ら命を絶つことになる。
 俊夫さんを変えてしまったあの日、夫婦の平和な暮らしを壊した運命の2月26日——雅子さんは決して忘れない、と言う。
……
 打って変わって今日(2021年2月26日)の神戸は雨。雅子さんは同じ梅林公園にいた。あの時、夫婦で眺めたのと同じ時間。同じ梅の前で佇むと、つらかった日々の気持ちがよみがえる。だが俊夫さんの遺書を公表した後は、大勢の人が味方をしてくれるようになった。あの日以来、初めてここを訪れることができた。
「この雨は夫の涙ですよね、きっと。私たちの幸せな時間はここで終わったんです。なぜ終わってしまったのか、明らかにしてほしいです」


 情緒的かも知れないが、ほだされてもしかたないと思う。

 雅子さんは今も俊夫さんが手帳に挟んでいた国家公務員倫理カードを大切に持ち続けていて、そこには、

・国民全体の奉仕者であることを自覚し、公正に職務を執行していますか?
・国民の疑惑や不信を招くような行為をしていませんか?
・公共の利益の増進を目指し、全力を挙げて職務に取り組んでいますか?

 と書かれているという。

 今も接待問題で一部(しかも「最上位」)の公務員の倫理の欠如が露わになっている。彼らも倫理カードを持っていたはずだ。接待自体、陰に陽に続けられてきたのかも知れないが、少なくとも、表に出て来たものについては、相応の責任をとってしかるべきだ。しかし、その「相応の責任」のハードルがどんどん下げられている。

 2017年の森友文書改竄事件が公務員の倫理破壊にどれだけの刻印を残してしているかはわからないが、国の誤りを正すためにも、この事件を忘れ去ってはいけない。森友事件は何も終わっていない。





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