ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

モラルの焦土 2021

 社会学者の小熊英二さんの著『<民主>と<愛国>』(新曜社 2002年)の第1章「モラルの焦土」を読むと、戦争とコロナの違いはあるけれども、75年も前と今の “強情なまでの” 変わらなさを感じる。20年近く前に初めてこれを読んだ時もそう感じたが、今の方がより切実だ。

 以下、引用(太字は当方が施した)。


 ……政策決定は形式的な作業と化した。すでに形勢が悪化しつつあった一九四三年九月、戦争方針決定のため、天皇の前で陸海軍合同の御前会議が開かれた。御前会議の本番は、リハーサル通りの報告が行われるだけであり、中堅クラスの将校が提出書類を作成していた。……本当なら情勢判断に基づいて政策が生まれるはずなのだが、……情勢判断が決まらないうちに、政策が決定してしまった。……結論が先で、判断は後であった。
 こうして、決定済みの政策に合わせて、情勢判断のほうを楽観的に書きかえる作業が行われた。しかし、敵側は、その通りには動いてくれなかったのである。……中央の作戦決定や命令は、しばしばあまりに遅く、あまりに状況を無視していた。中央での意見調整や妥協のため、多くの会議が行われているあいだに、手遅れとなった戦況のなかで多くの者が死んだ。
(同書 30-31頁)

武田清子の回想)当時の生活を考える時、すべては「嘘」に貫かれていた。毎日の新聞に日本の戦勝を人々に印象づけようとする報道が出つづけていても、工場の現場に働く人たちは、「こんなことで勝てたらえらいもんだ」と仲間同士では常に話しあっていた。日本の飛行機の骨をつくっている自分たちの鋳物工場から生産高がどのように正式に報告されていようとも、それらの製品の中にどんなに不良品が多いかということを最もよく知っているのは、現場で働くこれらの人たちである。そしてそうした不良品の原因が、当時の日本の窮迫によるだけではなくて、上役による材料の横流しや、いろいろの嘘によっていることを知っているのも彼らであった。自分たちもまた職階が可能にさせる程度に応じての横流しをすることが当然とされる世界であった。……
 ……工員は勿論のこと、工場を行学一体の教場として勇んで出て来た中学生たちまでが食券の偽造をはじめ、一回に二食分、三食分を食べることによって、空腹を充たす道を捻出して、何ら矛盾を感じない人間になってしまっていた」。虚偽は虚偽を生み、横領は横領を生んだ。「嘘に対する嘘の対策は、自然の護身方法であった」からである。
 横領と同時に発生したのが、癒着であった。軍需工場を中心に、すべての産業に官庁の統制と許認可がおよぶようになったことは、必然的に企業と官僚の癒着を激化させた。官僚を接待して物資が配給されれば、その横流しによって利益が獲得できた。……物資の不足が著しくなった戦争後期には、大蔵大臣だった賀屋興宣が杉並区の木炭を自宅に買い占めているとか、失火で焼けた荒木貞夫陸軍大将の家から大量の隠匿食料が出てきたといった情報が、口伝えで広まっていた。彼らは耐乏生活や「滅私奉公」を、公式の場で訓示していた人びとだった。のちに吉田茂内閣の文相なった倫理学者の天野貞祐は、戦時期を回想して、「皮肉なことには、自分を持たないはずの全体主義者達が事実においては最も私利私欲を追究する人々として、一番自分を持つ人々であった」と述べている。
(36-37頁)

そして、「戦後」……。

 軍人と為政者の権威をさらに低下させたのは、東京裁判であった。この裁判が世論に与えた衝撃は、二つあった。一つは「アジア解放」の名目で行われた戦争で、日本軍が多くの残虐行為をしていたこと。そして、もう一つは、日本の為政者が、いずれも自己の責任を否定したことであった。丸山眞男は……日本の為政者の「矮小性を最も露骨に世界に示したのは戦犯者たちの異口同音の戦争責任否定であった」と述べている。被告たちは、自分は上からの命令に従ったか、周囲の雰囲気に流されただけで、日本を戦争に導く意志も権限もなかったと主張したのである。
……しかし、このような「無責任」は、戦後の民主化のなかでも露呈した。……米軍に随行して敗戦後の日本を視察したジャーナリストのマーク・ゲインは、かつての特高警察や大政翼賛会幹部などが、各地で自分たちを大歓迎した様子を描きだした。
 ゲインは一九四五年の冬に酒田市を訪問し、中学校の校長と会話したさいのエピソードを、こう書いている。
 彼の学校の二十五名の教師の任命は、日本軍部の賛同の下になされたものであることを彼は認めた。しかし彼らを追放する意志があるかどうかと尋ねたら、びっくりしたような顔つきで、
 「どうしてです? 彼らはなにもしやしませんでしたよ」といった。
 それではこの軍によって選ばれた人たちが民主主義の観念を日本の青年に教えることができると考えているかときいたら、彼は確信をもって答えた。
 「もちろん。東京からの命令次第——」
 ゲインはこの反応を聞いて、「なぜ日本が戦争に突入し―—そして敗けたのか。その理由が私にもわかるような気がした」と述べている。
(62-63頁)


 2100年某日、80年前の2020年から始まったコロナ禍の時代を社会学者は次のように書くだろう(?)。

 国民に外出や会食の自粛を要請する中、総理大臣が宴会をはしごしているとか、閣僚が政治活動費で和牛やエルメスを何度も購入しているといった情報がネットで広まっていた。彼らは自粛生活や「自助」を、公式の場で訓示していた人びとだった。この時期を回想して、次のように述べた人がいた。「皮肉なことに、国民のために働くと称していた政治家たちは、事実においては最も私利私欲を追究する人々であり、一番「自助」から縁遠い人々であった」と。

 コロナ感染の渦中にあった日本を取材したある外国人ジャーナリストは、2021年2月、総務省の幹部と会話したさいのエピソードを、こう書いている。
 業者から公務員倫理規程に反し何度も接待を受けた12名の官僚は大問題であることを首相官邸も認めた。しかし、彼らを「追放」する意志があるかどうかと尋ねたら、びっくりしたような顔つきで、
 「どうしてです? 彼らは行政を歪めるようなことは一切なかったと言ってますよ」といった。
 それでは彼らが今の職にとどまることは行政に対する国民の信頼を失わせることにならないかときいたら、彼は確信をもって答えた。
 「もちろん。官邸からの命令次第——」
 彼はこの反応を聞いて、「なぜ日本が諸外国よりもコロナ・ワクチンの入手と接種が遅れ―—そして、コロナ感染から抜け出すのも最終盤の国になってしまったのか。その理由がわかるような気がした」と述べている。




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