ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

鶴見俊輔さんと慰安婦問題

 昨日、1月8日、韓国の元慰安婦と遺族ら12人が日本政府に損害賠償を求めた訴訟について、ソウルの地方裁判所は原告の請求通り一人当たり1億ウォン(約950万円)の支払いを命ずる判決を言い渡した。首相官邸で記者団の質問に答えたスガ首相は「このような判決は断じて受け入れることはできない」、「主権国家は他国の裁判権には服さない」、「韓国政府として国際法上、違反を是正する措置を取ることを強く求めたい」、「(今後の対応について)まず、この訴訟が却下されるところから始まる」などと述べた。

 嫌韓感情が先に立つのでなければ、元慰安婦への償いや日韓関係がこのままでよいわけがない。

 亡くなった鶴見俊輔さんが『期待と回想』で次のように述べていたことを思い出した。今から24年も前の発言だが、今でも再考されるべきことを含んでいると思う。少し長くなるが、引用する。

 日本軍の慰安婦問題ですが、戦後から五十年たった去年、「女性のためのアジア平和国民基金」が八月一五日にスタートしたでしょ。戦争中、日本軍によって「従軍慰安婦」とされた女性たちに対する償いを目的にしたものです。私も募金の呼びかけ人の一人ですが、大沼保昭、和田春樹、萩原延寿、高崎宗司といった私より若い呼びかけ人もいます。「国家賠償」ではなく「国民からの募金による」ということで、韓国、フィリピンなどアジアの国々から批判の声が起こり、日本でも議論が続いています。
 日本軍、日本人はアジアのいろんなところで、ものすごく悪いことをしてきているのだから、それに対するうらみが残っているのは当然なんです。呼びかけ人になり、こうした運動を進めるということは、みずから選んで進み出たのですから、アジアの国々から叩かれるのは当たり前だと思う。大沼さん、和田さんたちは戦争中、子どもだった。萩原延寿はまだ旧制高校の三年生だから、自分には直接の責任はないでしょう。責任はないけど、自分であえて呼びかけ人になり、アジアの国々から「殴られるあいつ」というポジションを選んだと私は思っていますね。韓国に行って、フィリピンに行って、「戦後処理を清算していない」「国民感情として、民間の募金は納得できない」と叩かれている。「殴られる」位置を選んだのだから、叩かれつづけるしかないと思う。私はそれでいいと思う。
 日本の内部からも「民間の募金はけしからん。国家がやったことだから、国家が補償するべきだ」と批判が起きていますね。もちろん私も国家は謝罪すべきだと思っています。しかし、ゆっくり考えてみると、日本の国内事情からいって「国家補償」はやらないということになるのではないでしょうか。
<中略>
 アジアに対して悪いことをしてきた。そのことに謝罪するポジションに来たのだから、アジアの国々から叩かれつづけていかなければならない。拳闘のリングの上に立ったのだから、殴られて殴られて殴られて、殴られつづけることが重大だと思う。すごくいいことじゃないかな。
 先日和田さんに会ったところ、「国連人権委員会でのクマラスワミ報告が採択されたのはありがたかった」といっていました。慰安婦制度を軍事的性奴隷ととらえ、問題を解決するための方策を日本政府に勧告したでしょう(1996年2月)。和田さんは「これで問題がはっきりする」といっていました。和田さんのような精神でやるべきですね。世界のそれぞれのところで「日本はけしからん」といっていくのは当然のことです。
 同時に、インドネシアと中国の場合のように「国家にお金を」といっているところもありますね。だが慰安婦の問題は個人の人権にかんすることなので、あくまでも個人に対して償いたい。「国家にお金を」というのは問題のすり替えですね。それに対しては「すじがちがう」といって、くり返しくり返し押し問答をしていくべきことだと思っています。
<中略>
 慰安婦の問題は、お金を渡して「はい、済みました」という問題ではないでしょ。「こんなことじゃ済まない」と押し合いへし合いすることで、問題がはっきりと浮き上がってくる。そのことが重大なんです。あの戦争のときにもとんでもない奴がいたわけで、そういう人間がその後も日本で責任のある位置にいた。いまもいる。このことを世界に知らせることです。くり返しくり返しアジアの国々から叩かれる。ボクシングの負ける側のように殴られつづけることです。
 その意味で私はこの民間募金の運動を支持するし、自分で呼びかけ人として入ったポジションは撤回しません。私の立場はそうです。
 私は戦争に行っているけど、古山高麗雄(作家)に近いと思っています。かれの仕事にとても共感している。戦争中の回想を読んだのですが、古山は戦争中に三高からずりおち、永井荷風を見知った人として、戦争に背を向けた暮らしをしていたそうなんだ。そうした仲間の一人にのちに日立製作所会長になった倉田主税の息子がいて、彼は玉の井の女性と一緒に住んでいた。そして召集令状がきたとき、家に立ち寄ることなく女性との部屋からまっすぐ軍隊に入った。家に帰り「万歳」で見送られて出征すると、自分がだめになると感じたそうなんです。
 私は心を動かされましたね。そこが戦争中、いまでもそうなんですが、私が心を置こうとしている場所なんだ。慰安所は、日本国家による日本をふくめてアジアの女性に対する凌辱の場でした。そのことを認めて謝罪するとともに言いたいことがある。
 私は不良少年だったから、戦争中に軍の慰安所に行って女性と寝ることは一切しなかった。子どものころから男女関係をもっていた。そういう人間はプライドにかけて制度上の慰安所にはいかない。だけど、十八歳ぐらいのものすごいまじめな少年が、戦地から日本に帰れないことがわかり、現地で四十歳の慰安婦を抱いて、わずか一時間でも慰めてもらう、そのことにすごく感謝している。そういうことは実際にあったんです。この一時間のもっている意味は大きい。
 私はそれを愛だと思う。私が不良少年出身だから、そう考えるということもあるでしょう。でも、私はここを一歩もゆずりたくない。このことを話しておきたかった。

(『期待と回想』下巻 229-234頁)


 終わりの部分は「引用」する必要性はないが、都合よく切り取って載せないと鶴見さんの言ではなくなる気がしたので、敢えてこのままにした。




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