ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「辺野古の海」と「大人食堂」

 文章を書いていて意を尽くせないということは数多いが、昨日上間さんの『海をあげる』について書いたものは、意を尽くせないのと感覚のズレと両方あって、もやもやしたものが尾を引いていた。「感覚のズレ」の方は、朝日新聞12月20日「日曜に思う」を読んでいて、いっそう思い当たるような感じがしてきた。当事者でなければわからないことというのはあるとは思うが、共に生きているという感覚を失わなければ、多くのことは “わかるべきこと”だ。

 「日曜に思う」は朝日新聞社編集委員や特派員による持ち回りの記事のようだが、12月20日付のものは、編集委員の福島申二氏が書いている。
 以下に一部引用させていただく。

(日曜に想う)「民主主義はこりごり」の声が 編集委員・福島申二:朝日新聞デジタル


きょう12月20日は、沖縄史に刻まれた「コザ暴動(騒動)」から50年になる日である。
 戦後の沖縄に18年間だけ、「コザ」というカタカナ名の市があった。今は沖縄市になったが、面積の6割を嘉手納などの米軍基地が占め、基地の島の代名詞でもあった街だ。50年前のきょう未明、アメリカ兵の車が通行人をはねた。米側の事故処理は一方的だったため、集まってきた人々は激高し、数千人の市民が米兵らの車両や米軍施設に火を放った。
 米軍は鎮圧を試みたが、車は次々に燃え上がって夜空を焦がした。占領下の不満、怒り、屈辱感が沸点に達した事件とされる。当時の市長だった故・大山朝常(ちょうじょう)さんが「沖縄の怨念が燃えている」と呻(うめ)いた言葉が伝説となって残された。
 その大山さんから、晩年に何度かご自宅で話を聞いた。大山さんは太平洋戦争末期の沖縄戦で、わが子3人と母、兄を失っている。そればかりか青年学校の校長として、軍の求めに応じ生徒600人を戦闘協力に送り出した。約半数が命を落とした。記憶をたぐりながら、「あの頃のことを話した夜は寝にくい」と苦しげに言っていた顔が忘れがたい。
 もう一つ胸に残る大山さんの言葉がある。「民主主義はこりごりだ」――。それは小さな島に苦難を押しつけてやまない、本土の民主主義への失望だった。だから90歳を過ぎて沖縄の「独立」を訴えた。亡くなって21年、いまの政治を見れば失望はいっそう深いはずである。


 「小さな島に苦難を押しつけてやまない」ということで言えば、上間さんのエッセイにも書かれていたが、辺野古の海には土砂が投入され続けている。県民投票までして反対の意思が明確に示されているのに、まったくお構いなしで、「辺野古への移設が唯一の解決策」というフレーズは一顧だにされない——上間さんが読者に「あげる」と言った「海」は、端的にはこの辺野古の「海」のことだ。

 本土の人間として……などと格好をつけた物言いはこの際いらない。しかし、このことを考えているうちに、一本の線がコロナの感染問題につながった。

 年明け後もコロナ感染拡大の勢いは止まらない。昨日までに死者3,500人超、一日あたりの新規感染者数は元日には4,000人を超えた。医療崩壊に直面した首都圏4都県の知事は首相に「緊急事態宣言」を要請しようとしたが、スガ首相は知事たちに会おうとせず、西村大臣に任せるという“逃げ”の姿勢を見せた。今日、4日の会見で国民に向かっていったい何を語ろうというのか。

 「死者3,500人」——当たり前だが、これは尋常な数字ではない。しかし、国が違ったらこんな数字にならないのではないかと考えるとやるせない。政府の中枢にいる人間たちに亡くなった一人一人の顔が思い浮かぶのだろうか。そして、今窮状を訴える人々の声が届いているのだろうか。

 東京都千代田区聖イグナチオ教会は「年越し大人食堂」と称して、生活困窮者に弁当を配布し、生活相談を実施していた。列に並んだ人には外国人も多いとのこと。彼らの声。1月2日付「毎日新聞」の記事より。

年越し「大人食堂」に若い女性や家族連れ 自助の限界「住む場所なくなる」(2021年1月2日)|BIGLOBEニュース

 フィリピン人で英語教師のフェルディ・トレドさん(37)は6カ月の赤ちゃんを抱いた妻(35)と5歳の息子とで弁当を広げた。たまたま教会のミサに来たのだが、弁当が配られていると知り、大喜びで受け取った。
 日本での滞在は10年になる。コロナ禍で受け持っていた授業数が激減し、6月には同業の妻が出産してその後育休に入った。「生活費を精いっぱい切り詰めているけど、貯金をきり崩す生活。4月には妻が職場復帰できるはずだから、それまでなんとかもたせたい」

 「食べ物、お金、仕事、何もない」。カメルーン人のジェネット・アンジェイクさん(31)は硬い表情で生活相談の順番を待っていた。昨年2月に日本に来て、難民申請をした。出入国在留管理庁の施設から6月に解放されたが、行く当てもなく、NGOを頼って東京都板橋区のシェアハウスに暮らす。「早く滞在許可が欲しい。でもコロナで全ての手続きがスロー。カメルーンにはもう家族はいないから、日本を私のホームにしたい」

 イラン人のアリアム・ファルサさん(46)は新型コロナの影響で昨年、精肉会社のパート職を失った。いまは日給9000円で夜間工事現場の警備員として勤め、知人の飲食店に寝泊まりする。シェアハウスに暮らしていたときは健康保険がなく、新型コロナ感染が怖かった。「外国人には生活支援情報が届きにくい。ネット環境と日本語がハードル。日本語を無料で勉強できるクラスを知らない?」。真剣な表情で尋ねてきた。

 「このままでは、ますます多くの人が路上に押し出され、路頭に迷う」。今回の大人食堂を主催した「新型コロナ災害緊急アクション/つくろい東京ファンド」の稲葉剛さんは危機感を強めている。
 昨年春の緊急事態宣言のときは、ネットカフェが休業した。そのため、日雇いでネットカフェで寝泊まりしていた人たちが路上に押し出された。10月以降はコロナの長期化により、失業して貯金を切り崩した末、家賃が不払いとなり路上で暮らす人たちが増えているという。生活困窮者の年齢層は10代、20代にまで広がっている。


 辺野古に土砂を投入し続けることとコロナ禍の困窮者を公助しない(政府が動かない)ことには、民意を無視する姿勢が貫かれていると思う。
 
 ……忸怩たる思いは消えないが、せめてもの発信。
 


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