昨日妹から電話があり、飼っていた老犬(Qとしておく)が亡くなったと告げられた。17歳だった。ずっと心臓が悪く、カンフル剤でもたせているということだったが、遊びに行くと、昔と変わらずはしゃいでいて(歓迎してくれて)、とても病気という感じはしなかった。病気だと聞いてから月に一度くらいは会いに行っていた。10日前に庭でとれた柚子をもって訪ねた時にも小生の周りをくるくる回って喜んでくれたのだが。
小生は犬は苦手だった。幼少の頃、隣家に遊びに行ったとき、いつもは小屋の中で吠えている猟犬がたまたま庭に出ていて、追いかけられたことがある。向こうからすると、ほんのちょっと子どもと遊ぶつもりでからかっただけなのかも知れないが、こっちは喰い殺される恐怖で必死になって家に逃げ帰った。それがたぶんトラウマになっているのだろう。今でも犬が手をなめようとするとサッと引いてしまうところがある。こういうのは犬の方にも通じてしまうので、今まであまり犬から好かれた覚えもない。
しかし、Qはこうした恐怖心をだいぶ和らげてくれた。一応イギリスの由緒ある猟犬の血を引いているが、平時はまったくそんな「片鱗」がなく、少しおっちょこちょいで愛嬌がある。それにもぐもぐと何かをしゃべるのだ。これは犬を飼っている多くの方には周知のことかもしれないが、言葉にはならないものの、確かに何かをしゃべっている感じがする。猫が鳴いて何かを求めるのとは全然ちがう。
Qが妹の家に引き取られたときはまだ1歳だった。そのとき姪っ子と一緒に映った写真がある。姪っ子は当時小学生だったが、すっかり大きくなって、今や社会人として働いている。Qの姿と姪っ子の成長が重なる。犬の17歳は人間だと90歳くらいに相当するらしいので、何かあっと言う間に追い越された感じだ。
でも、土曜で妹一家がみんないるときでよかったと思う。
年老いてくると、「さよならだけが人生だ」みたいになっていくのは避けられない。次に訪宅した折には、犬小屋に手を合わせようと思う。
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