ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

追補 イタリア学会の声明

 イタリア学会の会長・藤谷道夫(慶応大学)が、10月17日付でイタリア学会が上げた日本学術会議会員任命拒否についての声明の補足解説「声明文についてもっと詳しく知りたい方のために」(11月19日付)を書いていることを知った。
 →イタリア学会HPイタリア学会 Associazione di Studi Italiani in Giappone
「声明」も明快だったが、こちらも分かりやすい。特に、国家と専門家の関係を「患者と医者」の関係に置き換えて考えるところは“絶妙”である。今、専門家諸氏からGo to を止めるよう進言されても聞く耳をもたないというのは、政府が「患者の立場」をわきまえていないことがよくわかる。

 以下に「学術会議と国家の関係」と「学問と権力の関係」(部分)を引用させていただくが、まだお読みでなかった方は是非全文をご覧いただきたいと思う。

http://studiit.jp/pdf/%E5%A3%B0%E6%98%8E%E6%96%87%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%82%82%E3%81%A3%E3%81%A8%E8%A9%B3%E3%81%97%E3%81%8F%E7%9F%A5%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E6%96%B9%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB.pdf


学術会議と国家の関係
「国からお金をもらっている以上、国に従うのは当たり前だ」(誤解①)
 そもそも学術会議は何のためにあるかと言えば、国家の知恵袋として存在します。政治家は個々の専門領域には精通していません。このため、個々の専門領域で最も優れた業績を挙げている人たちが選ばれ、彼らが国家の諮問を受けて答申します。学術会議が推薦した 6 名の任命を拒否したということは、菅首相は自分の方が業績・見識・人格とも、この 6 名よりも高いとみなしていることになります1

1 もし何らかの学問上の疑義がある場合はそれを明かして当該学会で議論させるべきであり、首相が任命拒否という形で裁定すべきではありません。裁判なしに首相が有罪判決を下すようなものだからです。首相にそのような権限は法的に与えられていません。今回の問題は首相が裁判官の役を演じているからです。
 イタリアでは専門的な知識は政治家よりも学者の方が持っており、国家がその知恵を拝借させてもらうのだから、報酬を払うのは当たり前だと考えます。つまり、国家と専門家の関係は、患者と医者の関係に当たります。患者がより善き診療を求めて、医者に医療費を払うのと同じです。医者は患者を診断し、処方箋を書き、時に患者を厳しく説諭することもあります。このまま酒を飲み続ければ、血圧やコルステロール値が上がって深刻な事態になります、というように。医者が、患者の耳に痛いことを言うのは当たり前です。むしろ政権を批判することの方が重要な役目とされます。甘いことばかり言う医者は患者を殺してしまいます。喫煙がダメであれば、ダメと言うのが医者です。学者集団も同じです。従って、イタリアでは学者が政権を批判することはまったく問題となりません。それどころか、それをしなければ、その役目を果たしていないとみなされるでしょう。医学知識のない患者が医者を選別したり、希望通りの診断書を出さないと言って、注文を付けたりしません。イタリアではあくまで専門家が上で、国家は下に置かれます。なぜなら国家は助言を乞う立場だからです。そのため、イタリア人には日本では教えを乞う側がなぜこうも威張っているのかが理解できません。報酬を払うのは当たり前というのがイタリア人の感覚(常識)です。しかし、日本では逆で、患者の方が威張っています。(学問や学者に対するリスペクトの違いが根底にあります。)菅首相は、治療費を払っているんだから、自分の言う通りに治療しろと言う患者にそっくりです。自分の言う通りの診断書を書かない医者は罷免すると言う患者と同じです。ここがイタリアのみならず、世界の常識から外れている点です。ヨーロッパのように多くの国が隣接している世界では独りよがりの主張は通用しません。菅首相の非論理が通用するのも、日本だからです。

学問と権力の関係
税金を投入するのだから、「時の権力(政府・自民党)」に従うべきだというのは、大いなる錯誤です。まず《国のため》と《時の政権》のためにとはまったく異なります。国=時の政権ではありません。税金は、「時の権力(政府・自民党)」の持ち物でも財布でもありません。選挙で選ばれたら、税金は自分たちの好き勝手に使うことができるというのは、勘違いの中でも最も甚だしい勘違いです。税金は国民全員のためのものであり、「時の権力(政府・自民党)」の持ち物ではありません。選挙は独裁を生み出すシステムではありません。選挙で選ばれたら、何をやっても良い、何事においても国民は自分たちに従うべきだと考えることは、独裁以外の何ものでもありません。選挙で選ばれたということは、議場への許可が許されたというだけであり、議場で議論を交わす許可が与えられたに過ぎません。
 「言葉が存在するのは、正しきものや不正なものを明らかにするためである。」
             ~アリストテレース政治学』第 1 巻 1253a10~

言葉(ロゴス)は何が正しいかを見極めるために存在します。そのために議論は共通の論理(ロゴス)に従って交わされなければなりません。つまり、互いに 1+1=2 を共通理解として初めて議論が成立します。しかし、菅首相のように 1+1=0 であったり、1+1=5 であったりすると、議論は成立しません。それはアリストテレースの言葉の定義を破壊する行為です。民主主義とは議論(ロゴス)主義であり、より多くのロゴス(論理)を有する案が最善のものとして採択されるシステムです。自民党の言い分は、幕内に入ったから、相撲を取らずに、自分は横綱だと言っているようなものです。幕内では誰もが平等に対戦して、最も勝った力士が優勝します。横綱だから優勝できるわけではありません。議場も同じです。多数決=民主主義ではありません2
2 もしそうであれば、今でも天動説が罷り通っています。絶対多数の人が地球の周りを太陽が回っていると信じて疑いませんでした。世の中には多数決では測れない真実があることを知っておく必要があります。




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