ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

赤木さんへの取材と報道

 相澤冬樹さん。元NHKの記者で、例の「森友事件」の公文書改ざんの件の取材をめぐる一件の後、NHKを退職。今は大阪日日新聞の記者。森友事件で亡くなった赤木俊夫さんの奥様の取材や支援をめぐる「第一人者」でもある。
 その相澤さんの記事「改ざん事件の取材で学んだ 報道に巣くう男社会の息苦しさ」が、『論座』に掲載されている。元は『Journalism』9月号、特集「コロナの陰で」に掲載されていたものらしい。
 ここで、相澤さんは赤木さんの奥様・雅子さんの以下の言葉を引き、ハッとしたと言っている。
夫が亡くなってから、私はずっと男社会に囲まれてきました。財務省も、近畿財務局も、弁護士も、取材に来る人も、みんな男の人です。嫉妬深い男社会に囲まれて、私はずっと息苦しかった」(※太字下線は当方が施したもの)

 日々の暮らしの中で、ちょっとしたことに「ああ、女性だな」とか「男のやることだな」と感じることは多々あるが、そう思った瞬間にそれ以上のことを考えなくなる。「嫉妬深い」についても、それが男社会に特有なものかどうか、赤木さんを取り囲んだ男どもが(とりわけ)「嫉妬深かった」のか、そのたありに違和感や不明な部分を感じるので、留保しておく。……が、相澤さんが冒頭で「報道界は軍隊がお好き」と述べている点については、報道界に限らず、「戦争」や「軍隊」式の言説がこの国の社会に蔓延っていることをむしろ強調しておきたい。「歌合戦」とか、「〇〇軍団」とか、「日本人対決」とか……メディアも巷も好んでそういう物言いをする。またかと、しばしばうんざりさせられる。

 ……それは、ともかく、赤木さんと森友事件のことは、その後もずっと気にして追いかけてきたので、赤木雅子さんとメディア取材の様子を記した今回の相澤さんの記事を読み、いろいろと思うところがあった。

 相澤さんも「感動した」と書いていたが、「(TBS報道特集の)金平(茂紀)さんが前からずっと取材を申し込んでくださっているのに、同じTBSの『ニュース23』だけ取材を受けるのは申し訳ないです」という赤木さんの言葉は、人として当たり前の礼儀かもしれないが、小生にとってもホッとする一言だった。この社会では、長いこと、こうした「当たり前の礼儀」が蹂躙され、「公の世界」ではそのままになってきたから……。

 以下、相澤さんの『論座』9月23日付記事より引用する。

改ざん事件の取材で学んだ 報道に巣くう男社会の息苦しさ - 相澤冬樹|論座 - 朝日新聞社の言論サイト

 報道界は軍隊がお好き。30年以上、日本で報道の仕事に携わってきて、つくづくそう感じる。
 我々、報道の人間は、特定の持ち場を持たず機動的に動く記者のことを「遊軍」と呼ぶ。事件・事故・災害となると血が騒ぐ。「いくさだ!」一朝事あらば現場に「前線本部」を設け、「前線」に記者を送り込む。その記者のことをしばしば「兵隊」と呼ぶ。「兵隊が足りん! 他社に負けるぞ!!」と叫べば、後方から「援軍」を送り込む。前線の部隊を支える物資補給は「兵站」だ。最近は「ロジ」と呼ぶことも多いが、要するに英語のロジスティクスで軍事用語であることに変わりはない。記者クラブに配置される記者のトップは「一番機」。次いで「二番機」「三番機」。旧日本軍よろしくの三機編隊で敵との闘いに挑む。その敵とは、取材先ではなく、同業他社である。

<中略>

そして軍隊は典型的な男社会だ。男の論理が支配する。報道界でなぜセクハラ・パワハラが横行するか? それは、本質的に軍隊であり男社会だからだと思う。

森友改ざん 赤木さんの妻
 ここで私は赤木雅子さんのことを考える。財務省近畿財務局で公文書の改ざんを上司に無理強いされ、1年余りにわたり苦悩した末に命を絶った赤木俊夫さんの妻。今年3月、改ざんをめぐる夫の手記を公表し、真相解明を求めて国などを相手に提訴した女性だ。
 ある日、赤木さんは私に語った。「夫が亡くなってから、私はずっと男社会に囲まれてきました。財務省も、近畿財務局も、弁護士も、取材に来る人も、みんな男の人です。嫉妬深い男社会に囲まれて、私はずっと息苦しかったんです」
 嫉妬深い男社会。この言葉に私ははっとした。出世がなにより重んじられる男社会では、出世のためには手段を選ばず。出世を巡る嫉妬が渦巻いている。財務省や近畿財務局の男たちは、赤木さんに俊夫さんの手記を「公表してはいけない」と迫り、「マスコミは怖い。近づけてはいけない」と言いつのった。それはなぜか? 自分たちの保身だ。都合の悪いことが書かれているであろう(実際書かれていた)俊夫さんの手記を世に出させてはならない。だから手を変え品を変え、赤木さんに圧力を加えた。そして、赤木さんが手記を出すことを断念したようだ、もう大丈夫と思ったとたん……手のひらを返したように近づかなくなった。俊夫さんが一番の親友と信じていた同期ですらそうだった。それどころか、その同期は、赤木さんが望んだ麻生財務大臣の墓参を「望んでいない」ことにして握り潰した。それでこの男たちはどうなったか? 全員、「異例の出世」をした。赤木さんに届いた内部告発の文書はそれを「赤木(俊夫)さんを食い物にした」と表現した。
赤木さんは今、振り返る。――あの人たちはきっと、夫を亡くした女性が一人、どうせ何もできはしないと高をくくっていたんだろう。自分たちの言いなりになるしかあるまいと、なめてかかっていたんだろう。実際、私はあの頃、そう思われても仕方がないほど悲しみの中で混乱し、とまどい、冷静な判断力を失っていたと思う。男社会に囲まれて、彼らの言いなりになりかけていた――と。
 近畿財務局の人から紹介された弁護士も、上から目線の対応で赤木さんを苦しめた。赤木さんはこのころ、弁護士に会って事務所を出るたびに「泣いて帰るんです」と私に訴えていた。依頼人が弁護士に会うたびに泣いて帰る。そんなのおかしいだろう? でも現実にそうだった。
 赤木さんのところに近づいてくる取材者も、その多くが男だった。女性が増えたとは言ってもまだまだ報道界は男社会だ。記者は男が多いし、何より私自身が男だ。「男社会にうんざり」という赤木さんの叫びに、大いに共感した。男の私としてはおかしな感覚かもしれないが、赤木さんの話にずっと耳を傾けていると、自然に共感できた。

取材を受ける恐怖
 赤木さんは「取材」ということに長らく恐怖感があった。それは、夫・俊夫さんが亡くなった直後、報道陣が押しよせてメディアスクラムの状況になったことが大きい。赤木さんがいた実家の周辺を報道陣が取り囲み、出入りする人物にぶらさがって話を聞き出そうとする。繰り返ししつこく食い下がってくる。窓から外をうかがうと、テレビカメラの放列がずらりとこちらを向いている。それはまさに「砲列」だった。記者は怖いもの、という印象が染みついたのも無理はない。
 だから今年3月18日、夫・俊夫さんの手記を公表(週刊文春3月26日号)し、国と佐川宣寿元財務省理財局長を相手に裁判を起こした後も、赤木さんは取材を受けることを避けた。私は、報道各社の取材に応じた方が、報道してもらえて世の中に理解してもらうことにつながると考えていたが、赤木さんの強い意志を考えると、その時点では話を持ちかけることができなかった。
 やがて赤木さんは、寄せられる激励の手紙やメール、報道やネットなどを通し、世の中に自分への支援と共感が広がっていることを感じ、次第に自信が湧いてきた。それにつれて「取材を受けてみよう」という気持ちも出てきたが、「できれば女性から取材を受けたい」という思いも明かした。女性なら穏やかに自分に共感しながら話を聞いてくれるのではないかと期待したのだ。
 そういう状況だった7月1日、週刊文春編集部で、私が赤木さんとの共著『私は真実が知りたい』の最終手直しに取り組んでいた時、「週刊文春WOMAN」という文春の女性誌版(季刊)の編集長がやってきた。

 「この前の赤木さんの記事、女性の読者の反応がすごくいいんです」
 その記事は、赤木さんと私のLINEのやりとりを軸に紹介する内容だった。私は答えた。
 「それはよかった。赤木さんは女性に記事や本を読んでほしいと願っています。取材もできれば女性から受けたいと話しているんですよ」

 この何気ない一言が事態を動かした。編集長も女性だ。「そうなんですね! 『ニュース23』のキャスターの小川彩佳さんを知っていますから、ちょっと声をかけてみます」と答えたのである。小川さんは、すでに7月2週から産休に入ると公表していたが、編集長の打診に「ぜひお話を伺いたい。私がインタビューしたいです」と返してきた。

テレビ初出演
 私はことの経緯をそのまま赤木さんに伝えた。赤木さんは「小川さんの取材を受けます」と言ってくれた。これは大きい。テレビ初出演になるかもしれない。7月11日に都内のホテルで取材を受けるという話がとんとん拍子で進んだ。
 しかし現実には赤木さんのテレビ初出演は「ニュース23」ではなく、同じTBSの11日の「報道特集」になった。これはどういう経緯かと言うと、赤木さんの義理堅さとしか言いようがない。実は「報道特集」のキャスターの金平茂紀さんも早くから赤木さんの取材をしたいとアプローチがあった。初期の段階で私は「まだ早いです」とお答えしていたが、金平さんは記者らしく、手を尽くして赤木さんや弁護士に食い下がってきた。繰り返し取材アプローチを受けることに赤木さんはためらいを感じる部分もあったのだが、いざ「ニュース23」の取材が決まると、自分から言い出した。
 「金平さんが前からずっと取材を申し込んでくださっているのに、同じTBSの『ニュース23』だけ取材を受けるのは申し訳ないです」
  そして自ら金平さんに電話をして「ニュース23」の取材を受けることを伝え、その場に金平さんも来て下さいと申し出た。私にとってこれは感動的なシーンだった。粘り強く食い下がる記者が、最後に取材先の信頼を得る。記者が思い描く取材の理想形だ。
 当日、まず「ニュース23」の小川彩佳さんと赤木雅子さんがホテルの部屋でしばらく談笑して、和んだ空気を醸し出した。それからインタビュー。2時間余りに及んだが、小川さんの穏やかな共感を込めた語り口調に、赤木さんも話しやすい様子だった。それが終わって、次は「報道特集」、金平さんのインタビュー。こちらはさすが記者らしく、鋭く突っ込んでいく。小川さんのインタビューとは雰囲気がまるで違う。でも最初に小川さんのインタビューで心がほぐれているから、赤木さんは鋭いインタビューにも心穏やかに応じていた。金平さんのインタビュー時間は30分。本来なら「報道特集」は当日の放送だから、一刻も早く、「ニュース23」より先にインタビューしたかったと思うが、そこを先に譲ってくれたことで、すべてがスムーズに進行した。TBSがうまく社内調整してくれた。

在阪民放を「電波ジャック」
 その日の「報道特集」が赤木雅子さんのテレビ初登場。放送後の反響は大きかった。SNS上での視聴者の反響も大きかったが、赤木さんにとっては身近な親族や友人が「テレビ見たよ。すごくよかったよ」と言ってくれたのが大きかった。テレビに対する拒否感が強かった赤木さんが、自ら言い出したのだ。
 「相澤さん、私、テレビの取材もどんどん受けます」
 それは私も望むところだ。7月11日の「報道特集」の放送を見て、在阪民放各社から弁護士や私の元に取材協力依頼が相次いだ。そこでさっそく13日に、関西テレビ読売テレビ毎日放送の3社のインタビュー取材を立て続けに受けることになった。各テレビ局の本社をはしごして、赤木さんはすべての取材をしっかりとこなした。
 ここで私は気になった。在阪民放で朝日放送テレビ大阪が来ていない。まずいんじゃないか? そこでまず朝日放送の番組を作っている旧知の番組制作会社の役員に連絡した。「在阪民放3社すべて今日赤木さんにインタビュー取材したけど、朝日放送は来てないよ。大丈夫?」
 もちろん大丈夫じゃない。この役員から知らせを受けてすぐに朝日放送の記者から連絡があり、急きょ翌14日午前中に取材することになった。一方、テレビ大阪も関係者を通じて14日午後の取材が決まり、これで在阪民放5社がそろい踏みした。14日夕方は関西の報道番組のすべてに赤木さんが登場し、赤木さんの「電波ジャック」の様相を呈した。さらに15日にはNHKが「クローズアップ現代」で赤木さんを取り上げた。自宅での映像や、亡くなる直前の俊夫さんの動画などはNHKが初めて出した。ディレクターが事前に何度も面会を重ねて信頼関係を築いた結果だった。この時期、テレビ以外にも新聞や通信社による取材も相次いだ。

強引な取材
 重要なのは、赤木雅子さん本人が心の底から必要性を納得した上で、各社の取材に応じたことだ。取材される人の意思を報道各社が尊重したことが、この時の各社連続取材が成功した鍵だったと思う。
 取材相手の意向を尊重する。当たり前のことのようだが、「男社会」に染まった私たち報道界の人間はどうも軍隊式、あるいはマッチョ方式を「理想型」と考えがちなところがあるように思う。それが典型的に現れるのが「強引さ」と「押しつけがましさ」と「決めつけ」だ。相手の都合を考えずに強引に迫る。自社の都合、自分の考えを押しつける。相手の考えに構わず自分勝手に決めつける。こういう傾向が報道人の中にあるように思う。男ばかりではなく、報道界にいる女性の中にもその傾向が見られる人がいるのは、男社会のしがらみの中で生きてきたからだろうか?
 強引でもネタを取れば良い、インタビューさえ撮ってしまえば良いという考えが自分の中に潜んでいないか? 取材される人の意向を尊重しようという気持ちに欠けていないか? これは「取材先の言いなりになる」のとは違う。相手の立場を尊重しつつ、何をいかに報道すべきかを追求することは両立する。これは自らの反省も含めてのこと。私も相当に「ずうずうしい」ことは、赤木さんにも常々指摘されている。
 赤木さんが当初の「マスコミは怖い」から少しずつ脱して「取材を受けてみようかな」となった頃、真っ先に取材にあたった某大手新聞社の記者がいる。自死遺族の取材経験が深いという触れ込みだったので、自分の気持ちをわかってくれるのではないかと赤木さんはかなり期待していた。このころ私に対し「森友は相澤さんにお任せします。自死遺族のことは別の方にお願いします」と話していた。
 ところが取材を受けた後の赤木さんはかなり落ち込んでいた。

見え見えの誘導取材
 自死遺族の話なんか全然出ないんです。いきなりビデオカメラ回し始めて『え、なんで?』という感じで。質問もいきなり『安倍政権についてどう思いますか?』なんて……反政権に誘導しようとしているのが見え見えで、ほんとに嫌になりました」
 自分が書こうとする記事に都合良く話を決めつけている。結局、赤木さんはこの記者が記事にすることを断った。もっとも7月に入り、他社の取材を受けて気持ちが前向きになった時に、最終的に記事化に同意している。その記事は、赤木さんの意向に沿う内容になっていた。
 もう一人、某民放のディレクターから熱いメッセージの手紙を受け取って、赤木さんは取材を受ける気になった。赤木さんから「この人知っていますか?」と尋ねられたので、「会ったことあります。いい方だと思いますよ」とお勧めした。この取材が実現していれば、テレビ初取材になったはずだ。
 ところがこれも残念な結果に終わった。取材場所に行くとカメラマンが大きなカメラを設置していて、いきなり回し始める態勢だったという。そして番組放送は来年という話だったはずが、いきなり報道ですぐにでも放送したいという。話がすべて違った。ここでも強引な取材が顔を出した。赤木さんはこの取材を断った。そして私に告げた。

報道が考えるべきこと
 「私はテレビの取材はもういいです。NHKもいいです」
 この頃、私はNHKの取材を受けるのがいいと赤木さんに勧めていた。「相澤さんはNHKを辞めたのに何でNHKを勧めるんですか?」と問われて、「テレビ報道の世界ではNHKの信用力と影響力は一番ですから。赤木さんにとってクロ現(クローズアップ現代)に出るのが一番いいと思います」と答えた。その考えは今も変わらない。
 赤木雅子さんが語った「嫉妬深い男社会の息苦しさ」。そこを私たち報道界の人間はもっと考えないといけない。女性ならいいということではないけれど、近畿財務局の職員や幹部の半分が女性だったら、夫の俊夫さんは命を絶つところまで追い込まれていなかったのではないか? 報道機関の職員や幹部の半分が女性だったら、報道のあり方、取材のありようも変わるのではないか? 赤木さんの取材を通して感じた一番のことは、実は「嫉妬深い男社会の息苦しさ」である。

※本論考は朝日新聞の専門誌『Journalism』9月号から収録しています。同号の特集は「コロナの陰で」です。



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