ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

小泉悠『「帝国」ロシアの地政学』

小泉悠『「帝国」ロシアの地政学 「勢力圏」で読むユーラシア戦略』(東京堂出版 2019年6月)

 なかなかおもしろかった。著者の小泉さんはテレビでコメントする姿を何度か拝見したが、筋立てて話す様子が印象に残っていた。確かに「軍事オタク」の片鱗も見せてはいたが……。(笑)

 内容は、1・2章が「総論」というか、ロシアの地政学的スタンスの解説。3章以下が「各論」(グルジアバルト三国ウクライナ、シリア、「北方四島」、北極)という構成。特に、軍事・安全保障の専門家である小泉さんゆえに、3章以下は面目躍如の感じがする。

 さて、小生、「北方領土」の外交交渉のたびにプーチンが、返還後に米軍基地は設置されないのかと執拗に懸念を示すことに、少々疑念というか戸惑いを感じていた。日米安保があるから、ロシアから見ればアメリカの影がちらつくのはしょうがないのか、くらいに考えていたのだが、本書を読み、一段上のレベルの「理屈」があることがわかった。
 プーチン(ロシア)にとって、日本はまっとうな「主権国家」とはみなされていないのだ。ドイツでさえ「主権国家ではない」とプーチンは発言している。どんな世界有数の経済大国であっても、政治・軍事同盟を結び(日米安保、EU)、盟主に頼る国は完全には「主権」を行使できない。プーチンの認識では、インドや中国など、他国に依存せず、自己決定権を行使できる国だけが「主権国家」なのだ。[58-60頁]
 安全保障をアメリカに依存している以上、かりに「北方四島」が日本に返還されて、アメリカ側が島に米軍基地を設置したいと言ってきたとき、日本は拒否できないだろう。実際、日米地位協定の解説書(1973年 外務省作成)に「返還後の北方領土には施設・区域を設けない」とあらかじめ日本側がソ連側と約束することは、安保条約・地位協定上問題がある」と注記されているではないか。これは、北方領土の返還が米軍基地の設置を排除できない証拠ではないか! というのがロシア側の言い分である。[211-212頁]

 しかし、ロシア側にしても、外交上、確固としたスタンスやアイデンティティーがあるわけではなく、その「自画像」には揺らぎも見られる。ソ連“帝国”が解体し、ロシアが旧ソ連の「帝国」意識を引きずりながら、それでは立ち行かないある種の“矛盾”を抱え込んでいる姿が、旧ソ連邦を構成していたグルジアジョージア)、バルト三国ウクライナなどの状況から浮き彫りにされているところが大変興味深かった。
 以下、いくつか拾ってメモ書きしてみる。

 ソ連崩壊によって「ロシア的なるもの」は国境で分断され、新たに出現したロシアの国境内には「非ロシア的なもの」が抱え込まれることになった。つまり民族の分布と国境線が一致しなくなったわけで、こうなると「ロシア」とは一体どこまでを指すのか(国際的に承認された国境とは別に)という問題が生じてくる。これは地政学(「ロシア」の範囲)をめぐる問題であると同時に、アイデンティティ(「ロシア」とは何なのか)の問題でもあった。……冷戦後のロシアでは、地政学アイデンティティがほとんど判別不能な形で癒着することになったのである。[42頁]

 〇ロンドン大学キングス・カレッジのロシア専門家であるデヤーモンドは、ロシアの態度が旧ソ連国境内部と外部で正反対になるという興味深い傾向を指摘している。旧ソ連域外におけるロシアの振る舞いは、……諸国家間の法的平等や内政不干渉、領土的一体性の尊重といった諸原則を擁護する一方、人道的理由に基づいて国家主権が制限されうるとした冷戦後の「保護する責任」論には強硬な反発を示してきた。……[NATOユーゴスラヴィア介入など]……。ところが、旧ソ連域内においては、ロシアの立場は真逆になる。ウクライナ危機や2008年のグルジア(現ジョージア)戦争の際に顕著に見られるように、ロシアは旧ソ連諸国に住むロシア系住民やロシア語話者に対して(国際法上の帰属とは関係なく)「保護する責任」を負っているのだと主張し、法的親国の意向を無視した軍事介入を行った。[54-55頁]

 〇……ロシアの秩序観[旧ソ連域内外のダブルスタンダード]とは、ロシアの対外政策を導く何らかの指針であるのか、(あるいは)より個別具体的な理由に基づいて行われる行動を正当化するためのロジックに過ぎないのか……。筆者の立場をやや狡いやり方で示しておくと、実際のロシアの対外行動には両者の要素が見られ、しかもその混在度合いはケースごとに濃淡がある…………。[81頁]

 〇(グルジアの)国会議事堂に面した国立博物館……。40分後には閉館だという館内を駆け足で見ていくと、現代史の展示でギョッとさせられた。ソ連時代が「OCCUPATION」つまり「占領」と銘打たれているのである。主な展示内容は、内戦で銃弾の痕だらけになった貨車やKGB将校のデスクなど、いかにも暗い。グルジアにとっては、ソ連への加盟は自発的なものではなく、あくまでロシアの共産主義体制に強制的に組み入れられたという立場を示すものだ。ただ、このような態度はグルジアに特有のものではない。……旧ソ連諸国の大部分は、ソ連が自国に対する「侵入者」であったとみなしているためである。「占領」とまで呼ぶかどうかは別として、自発的な意志というよりはロシアから「妥協ができない形で」(タルトゥ大学マカルィチェフ)併合を迫られたという認識は旧ソ連諸国の間でほぼ共有されている。[101-102頁]

 〇[2014年3月クリミア危機に関して、当初は]クリミア半島に駐屯していたウクライナ軍は、ロシア軍よりも数の上でははるかに優勢であった。また、投入されたロシア軍特殊部隊は総じて軽装備であり、後続部隊が登場するまでは基本的に軽歩兵部隊であったに過ぎない。現地のウクライナ軍にその意志さえあれば、相当の犠牲と引き換えにではあるが、ロシア軍の第一波を撃退することは可能であったろうし、そうなれば橋頭堡を失ったロシア軍が重装備を持つ第二派を上陸させることも叶わなかっただろう。……クリミア半島に勤務するウクライナ軍人たちの少なからぬ数が民族的にはロシア人であったことや、セヴァストーポリではウクライナ海軍とロシア海軍黒海艦隊が文字どおり肩を並べて同居していたこと(元々は同じソ連海軍黒海艦隊だった)も見逃せない。つまり、占拠を仕掛ける側と仕掛けられた側の心理的距離は比較的近かったわけで、これが抵抗の軽微さにつながった部分が大きいように思われる。実際、ウクライナ軍人たちの中には投降後にロシア軍での勤務を希望する者が多く、セヴァストーポリに司令部を置いていたウクライナ海軍総司令官などはそのままロシアの黒海艦隊副司令官に横滑りで就任した。[151-152頁]



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