ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

『なぜ君は総理大臣になれないのか』3

 朝日新聞の記者・秋山訓子氏小川淳也衆議院議員と「再会」したときのやりとりをもとにした「取材ノート」を読んだ。新聞企画としては「アナザーノート」というメール配信記事(コラム)らしい。
 小川議員と言えば、ドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』が評判で、小生も見てみたいと思っているが、現状では映画館へ出ていけないので、こうした周辺情報を頼りにしている。山崎拓氏の話とのコントラストがおもしろいと感じたので、部分引用する。

善人は総理になれないか 小川議員の夢と山崎拓氏の即答 [アナザーノート]:朝日新聞デジタル


<前略>
……映画の中で再三繰り返されるのが「政治家に向いていない」という言葉だ。本人からも、家族からも。「私に一番欠けているのは、つきあがるような権力への欲求、欲望。これは政治家として致命的なこと」「党利党益、目先のことに仕えよう、貢献しようと思わないと党で出世できない。そこは僕が正直関心がないところなんですよ」
 「政治家になりたい、ではない。ならなきゃ、なんですよ」「やるからにはトップをめざしたい」
と初出馬時に語っていた割には、何が何でも政治の道でトップをめざす、という気迫が感じられない。
 映画に「泣けた」という感想も多かったが、私には彼が、良い人なのだけど、まるで黄色い帽子をかぶってランドセルを背負っている小学1年生のように思えた。まっすぐな理想を語っても、大人の行動ができない、みたいな感じ。善人は政治家として大成しないのだろうか、とも思った。
山拓さん「お人好しいない」
 政治とは、時に汚濁にまみれて人に言えないようなことをしながらも、でもその先にある理想に向かって進むものではないのか。なんかこの人、きれいすぎる――と思ってしまう私は、永田町取材歴20年超で、汚れてしまったのか。
 ちょうどそのころ、昔担当していた山崎拓・元自民党副総裁が久々に上京したというので会いに行った。映画を見て、ベテラン政治家に意見を聞いてみたいと思ったからである。
 善人だと政治家として大成できませんかね?
 私の突然の問いに、彼は即答した。「できない」
 「狐(きつね)と狸(たぬき)の化(ば)かし合いだからね。お人好しは1人もいないよ」
 善人の政治家は魅力がないですか?
 「善人から魅力を感じる人は少ないでしょうね。昔から清濁併せのむ、ということがあるじゃないですか。清流に魚棲(す)まず、とも言うね。そもそも清流みたいな民はほとんどいないですよ。民自身が。権威主義全体主義もそうだが、民意で動く」
 そして、私は小川議員に会った、というわけである。
「人々の利他心に火をつける」
 私は初めてまともに向き合った彼に、ぶしつけな質問を重ねた。
 政治家に向いていないというのなら、なぜ続けているのですか?
 偉くなりたいと思ったことはないと言っていたけど、政治家として偉くならなければ自分のやりたいこともできないのでは?
 政治家である以上、そして上をめざすなら、清い水に棲(す)み続けることはできないのでは?
 彼は語り始めた。彼の話は長い。わかりやすいキャッチフレーズ型や言い切り型ではない。丁寧に説明しようと、自分の中のもやもやもひっくるめて話し、必然的に長くなる(映画の中では、だから何なのと言いたくなる場面もあった)。
 「ものすごく考え、心理的にさまよいました。何のためにここにいるのか。意味があるのか。野党は期待されていない、しかもその野党の中でダメな自分。出世するのは器用な人が多い」
 「でも心のどこかで、そういう、要領が良くて器用で野心に突き動かされている人だけが動かす政界で良いのか?とも思う。納得できないんです。自分の子どもに所詮(しょせん)世の中は利害損得で、人なんか蹴落としていけば良いんだ、って言えるかなと。やっぱり言えない。これが最後の砦(とりで)なんです」
 「悩んで苦しんで、孔子ソクラテスプラトンを読みました。そこで言われているのは政治とは自己犠牲を伴うもの。本来そうあるべきだと。やっぱりそうか、自分と同じだと思ったんです。今の新しい時代に政治は対応できていないですよね。自分はそういう政治を変える、と言って(政治家を)始めたんだから」
 「有権者が求めるものが、利害損得や目先の利益なのか、それとも社会の公平さや透明さ、それにふさわしいリーダーなのか」
 「人々の自尊心や利他心に火をつけることができるのか。これらは可燃性じゃないから大変なことだけど、いったん火がついたら内燃機関のように燃え続けると思うんです」

政治家と有権者の新しい関係
 彼の話を聞いているうちに私は気がついた。この人は新しい政治、政治家と有権者の関係を作ろうとしているのではないかと。
………最後に聞いた。善人は政治家として大成すると思いますか?
 「善人という意味が、公平、公正、透明性、利他心、自立心、自尊心、公共心に働きかけるという意味なら、そういう人が大成する時代が来ないと日本の政治はよくならない。そういうリーダーシップがないと、日本は生き抜けない」

<以下略>


 日本の政治の現状で小川議員が「大成」する可能性は低い。それは自身もよくわかっていることだと思う。そうなると、万年野党でかまわないから良心的な政治活動をするか、不本意ながら権力ゲームに飛び込んで名を上げていくか、という選択になるのだろうが、小川議員は後者を選択しない。しかし、外国の様子を見ていると、小川議員のような政治家は特別珍しいわけではないし、国によっては「総理大臣」に選ばれることもある気がする。小生のような天水桶のボウフラが何を言っても説得力はないが、外国の人と昔(大昔)に接した範囲で考えても、この判断はそんなに的外れではないと思う。
 この国では、残念ながら(まだ)そういう民意がつくられていない。現状では利権に群がるハイエナを差配するのが、まず第一のこの国の政治なのだ。しかし、利権が枯渇していけば、そういう“腕力”は必要なくなる。森永卓郎さんが言う「衰退途上国」が進めば、利権よりも優先されなければならないことはおのずと明らかになるだろう。今も台風被害にさらされているし、この先またどんな自然災害が待っているか知れない(もっとも、こういう危機に乗じることまでして利権の差配に執着するのが「アベ政治」だったことは、アベノマスクの発注や持続化給付金の中抜きなどで証明された)。
 本当に少しずつ、1ミリ1ミリかも知れないが、小川議員のような政治家を総理大臣にしなければこの社会が立ち行かないような状況が進行しているのだと思う。それは必ずしもバラ色の未来とはいかないかもしれない。なお「経済大国」だという自意識が強い現状で、それを真っ向から否定し、発想を転換できるかと人々に問うている。しかも、その「人々」には、山拓氏のいうところの「民」が大勢含まれているのだから……。



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