ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

Xデーを前に アベ政権の8年

 第二次アベ政権の発足を前に、知り合いの弁護士から、NHKの記者の間で「それはないだろう(勘弁してくれ)。右派との結びつきが強すぎる。外(外国)からも不審の目で見られる」と言っていたと聞いた。また聞きなので正確ではないが、当時でも「準国営」のそしりを免れなかったNHKに、まだそういう声が上がっていたのだと、と今は思う。そのNHKが、その後の8年間で劣化に劣化をつづけ、今や政権に不都合なことは一切触れないまでに堕してしまった。

 今日以降どこかのタイミングでアベ政権が終焉を迎えることが確実と見られている。NHKもわれわれも、この政権下にあった日本をどう総括するべきか。この8年で得られたことは、アベを“反面教師”にする類のことしか思いつかない。逆に、失われたものや失われたことは数多い。たとえば、どんなにつかえない人間がトップに立ったとしてもそれなりに機能するはずの官僚制が、今では目を覆いたくなるような惨状となった(それでも、中で良心的に支えている人は多いだろう。しかし、彼らの意志が組織の意志になることはほぼない)。一国の宰相の器からこれほどかけ離れた人物を、8年もの間トップにすえてしまったメディアや国民。コロナ禍がなければ今頃はオリンピックの狂騒にこうした悪事と惨事も埋没し、かき消されていただろう。

 愛読している澤藤藤一郎さんの「憲法日記」に第2次アベ政権の「総括」が書かれているので、以下に引用する。

澤藤統一郎の憲法日記 » 2020 » 8月

……日本の右翼・改憲派が、穏健保守を押しのけて作りあげたアベ政権である。アベで改憲ができなければ、近い将来に改憲の望みはない。靖国参拝も、拉致問題も、北方領土もと、保守勢力の懸案解決の切り札としての政権。しかも、民主党政権運営失敗からの揺り戻しの国民意識を背景に、なんでもできるのではないか。そんな時代の雰囲気の危うさに抗して、アベ政権を批判し、改憲を阻止する力の一端を担おうと書き始めたのだ。
憲法日記」との標題でのブログの初回は政権発足直後の2013年1月1日である。しかし、今の形で、今のURLでの書き始めは、同年の4月1日。毎日更新を宣言して、2700回を超えた。当時、こんなにアベ政権が続くとは夢にも思わなかった。
安倍内閣は確かに長く続いたが、国民の批判は予想以上に強く、右派勢力が思うような政権運営はできなかった。ときに、突出した強行姿勢を見せても、常に揺り戻しが大きく、決して右翼勢力の期待は実を結ぶに至っていない。
アベは、レガシーを意識しているという。しかし、悲願であった憲法「改正」はもう無理だ。近い将来、改憲は不可能という情勢を作り出したという点において、アベはレガシーを残したと言えるかも知れない。拉致被害問題も、北方領土問題も、1ミリの進展もない。イラン問題での仲介もできなかった。経済の再生もできないまま。確実に格差貧困は拡大している。花道と考えられた東京五輪パラリンピックもアベの在職中にはもう無理だろう。
世界の首脳の中でたったひとりトランプとは良好な関係を結んでいるようだが、それはアメリカとの関係良好を意味しない。大胆な無法者と臆病な無法者との友情に過ぎないが、果たしてそれが我が国民の利益となるのかどうか。
負のレガシーはいくらでもある。見えるものとして国民の記憶に新しいのは、466億円をかけてのアベノマスク配布である。これこそ政権の無能と無為無策の象徴である。アベの愚策として永遠に歴史と国民の記憶に残るだろう。
直接には見えないが、最大のものは公務員の忖度文化の育成であろう。安倍政権時代の7年で、公務員は、国民のためにではなく、上を眺めて上にへつらうことで出世競争をするようになった。そして、適正な公文書管理の忌避。検察の独立性への不信。総理の国会発言の言葉の軽さ。上の責任を下に下ろして、末端職員を自殺にまで追い込む行政組織のありかた。
さらに、絶えず何かに取り組んでいる振りの「やってる感」演出文化。思い出してみれば、「デフレ脱却」「三本の矢」「女性活躍」「地方創生」「一億総活躍」「働き方改革」「人生100年構想」「人づくり革命」等々。かけ替えた看板の数だけは、比類のないもの。
アベとアベ政権が引き起こした個別の事件も忘れまい。モリ・カケ・桜、カジノに河井。情報隠して、格差を広げ、政治も行政もウソをつく。
いま、既にアベ政権はレームダック状態ではないか。改憲の旗振りなんぞ今ごろできるわけがない。首相の体調の異変も報じられている。
……以下略。



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