ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

災害とソーシャル・キャピタル

 今年の梅雨は長かった。雨続きで雑草が伸び放題。止み間に草取りをしてきたが、まだまだ区切りが見えてこない。数日前に庭の草を取っていたら、やたらとカラスが屋根にとまる。追っ払いはしないが、屋根の上を眺めていて「あれ?」と思った。鬼瓦と冠瓦のつなぎに隙間があるように見える。漆喰が剥がれたのだろうか? いつ? 数日前に大雨が降ったが、雨漏りはしてなかったような……。
 しかし、今後地震や台風が来れば、どうなるかわからない。早速、大工さんに数回電話をしてみたが通じない。地元の屋根工事の業者さんにも電話したが、こちらも出ず。メールを送って修理を頼むと、程なく返信があり、昨年秋の台風15号で被災した県内の家屋の修理が現在も続いていて、もし引き受けても年内は到底無理で、来年になってもいつになるかわからない、申し訳ないが、他をあたってほしい、とのことだった。去年の台風と大雨の爪痕を改めて思い起こした。県内の業者さん、どこも大変そうだ。……それにしても、このままというわけにもいかず、困ってしまった。
 ……で、近所のお宅が昇降機付きのトラックを持っていることを思い出し、回覧板をもって行くついでにお願いしてみたところ、快く引き受けてくれ、早速屋根の上に上がって確認してくれた。隙間のある個所は漆喰がまだ残っているので雨漏りは何とか防げそうだが、その手前の瓦がひび割れしていて、こちらの方が心配だということだった。完全な修理はできないので、とりあえずガムテープで留めてもらって、何とか応急処置の格好をつけてもらった。感謝、感謝だ。

 確かに千葉県の昨年の台風被害はひどかった。杉林は隕石でも落ちたかのように一面なぎ倒されていたし、あの勢いで屋根が壊されたり、飛ばされたりした家は数知れない。うちも雨漏りがひどかったし、雨樋は外れ、小屋のトタンも剥がされた。一人住まいの高齢者のお宅はどうなっているのだろう。うちもひょっとしたら高齢の父親の一人住まいとなっていたかも知れない。災害の時ほど、人とのつながりが身に染みることはない。

 むかしアメリカの社会学ロバート・パットナムの大著『孤独なボウリング』(柏書房 2006年/原著は2000年刊)を読んだことがある。この本では、「ソーシャル・キャピタル社会関係資本)」がキー・タームになっているが、これはなかなか日本語に訳しにくい言葉である。「人間同士の絆(つながり)の蓄積」というのが一番意味が近いのかも知れないが、「資本 capital 」というからには、この「絆」が「金」ほどにものをいうことがあるわけだ。
 厚い人脈をもっていたり、広範囲の人々に顔がきく個人は、かりに「金」資本がなくても「絆」資本には恵まれていることになる。しかし、パットナムは、ソーシャル・キャピタルが 豊かであることは、個人の「私財」の側面に限らない、むしろ、「公共財」、つまり匿名の他者(見知らぬ人、外国人など)が、思いがけない困難に出くわしたとしても、何となく助けてもらえるような人間関係のストックが社会や共同体にあることに着目している。

 では、「公共財」としてのソーシャル・キャピタル社会関係資本)は何に支えられているのか。パットナムは次のように言っている。

 社会関係資本の試金石は、一般的互酬性の原則である。………あなたが将来助けてくれるであろうという(無駄に終わるかもしれない、不確かな、計算外の)期待によって、私はいままさにあなたを助ける。互酬性は、それぞれは短期的愛他主義(愛他主義者のコストによって相手を利する)的であるが、合わさると一般に全ての参加者が恩恵を受けることになる行為の連続によって構成されている。………
 隣人の庭掃きのように、好意の見返りが直接的でそのまま計算できるものもあるが、遺棄された子どもの面倒を人々が見るようなコミュニティに住むとことが持つ利益のように、見返りが長期的で確定的でないものもある。この方向の極においては、一般的互酬性は愛他主義と区別することが難しくなり、自己利益と考えることが困難になる。それにもかかわらず、これはトクヴィルが深い洞察で、「正しく理解された自己利益」という言葉で意味したものなのである。…………
 信頼し合うコミュニティにおいては、……無視できない経済的利点があるということを経済学者が近年見いだした……。日常の「取引コスト」による、ほとんど目に見えないほどの背景ストレス — 店員が正しい釣りを返してきたかといった心配から、車のドアをちゃんとロックしたか二度確かめるといったことまで — は信頼のあるコミュニティにおいては平均余命が長くなるということを公衆衛生学者が見いだした理由を説明する助けとなるだろう。一般的互酬性に依る社会は、疑り深い社会よりも効率が良いということの理由は、物々交換よりも貨幣の方が効率が良いという理由と全く同じである。誠実性と信頼は、社会生活において避けがたい摩擦に対する潤滑油となるのである。
 「正直は最善の策」とは、感傷的な決まり文句というよりもむしろ賢明な格言であるが、それも他者が同じ原則に従うときのみである。社会的信頼が価値あるコミュニティ資産となるのは、それが保証されたとき — そしてそのときのみ — である。われわれが互いに対して正直であったときの方が、(裏切りを恐れて)協力を断ったときよりも、あなたと私の双方が利益を得ることになる。しかし、不誠実が続く中で誠実であろうとすると、聖人君子を探すもののみが利益を得てしまう。一般的互酬性はコミュニティの資産であるが、一般的な騙されやすさはそうではない。単なる信頼ではなく、信頼性が、鍵となる要因である。

(柴内康文 訳『孤独なボウリング 米国コミュニティの崩壊と再生』、柏書房、156-158頁。)

 日本においてもアメリカと同様コミュニティの再生、構築は重大なテーマの一つだ。それが、人口減とか、インフラの機能不全といった物理的な問題への対処だけでは済まないから難しい。けれども、「公共財」としてのソーシャル・キャピタルの存在や可能性を感じることが経験上なくはない。
 たとえば、以前、狭い道路で側溝に誤って自家用車を脱輪させたことがあった。困って脇に立っていると、だいたいはただ通り過ぎていくのだが、中には、サイドミラーが邪魔で通れない(からたたんでくれ)と苦情を言ってくる者もいた。他方、「どうした、大丈夫か?」とか、「ジャフを呼ぶしかないよお」などと、見ず知らずの人間のために、わざわざ自分の車を降りて声をかけてくる人が3人、4人、いや、もっといたのではなかったか。この数には正直驚いた記憶がある。

 最後に、パットナムの文章(概略)の引用をもうひとつ。

 実験心理学によると、他者が正直であると信じる人ほど、自身が嘘をついたり、ごまかしたり、盗んだりしない。逆に、自分が悪党に取り囲まれていると感じている人は、自身が誠実でなければならないという圧力をあまり感じない、という。(160頁 要約)

ロバート・パットナム Robert David Putnam(1940年生 80歳):ニューヨーク州ロチェスター生まれ。1979年からハーバード大学で教える。2001~02年アメリ政治学会会長。





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