ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

橋本雅一『世界史の中のマラリア』

 カミュ『ペスト』を読み終えて、本箱の片隅に長く眠っていた本に目が留まった。1991年5月4日、神田・長島書店で購入とのメモ書きがある。30年くらい前のことで、本を開いた形跡はあるが、目次から数頁めくったくらいでそのままだったと思われる。しかし、今回改めて読み直してみて、失礼ながら想定外の好著で、エッセイとはいえ、マラリアに関する歴史と蘊蓄をここまでコンパクトにまとめていることに驚かされた。現在は古本でしか入手できないため、どこか大きな出版社が新書か文庫にして、ぜひ多くの方々の目に触れる機会をつくってもらえないかと願う。読了後、少し大げさかもしれないが、世界がちがって見えてくると思う。

 著者の橋本雅一(まさかず)さんは微生物学者で、1921年、函館生まれ。1945年、東大医学部卒業後、いくつかの大学を経て、1973年より女子栄養大学教授。無知の怖いもの知らずで、橋本さんがその世界でどれほどの「権威」か知らずに、本書を手に取ったのだが、刊行された1991年に亡くなっていて、これが遺作となった。しかし、来月、橋本さんの古い訳書、ハンス・ジンサー『ネズミ・シラミ・文明 新装版: 伝染病の歴史的伝記』が、みすず書房から新装版で刊行予定とのこと。また、注目されるかもしれない。

 本書を一読すると、感染症としてマラリア、ペスト、新型コロナを同列におくことはナンセンスな感じがしてくる。ペストと新型コロナのちがいはもちろんのこと、マラリアはそれ以上に異質で、「流行(一過性)」と「持続(潜伏性・慢性性)」の両方を併せもっている。不気味なことに、2018年11月に公表された統計では、1年間に世界で約2億2000万人がマラリアに感染し、推計43万5,000人が死亡。日本でも60人前後の人が感染を届け出ているとのこと。もちろん、マラリアは世界の中では熱帯・亜熱帯地域が感染の主流であることは確かで、小生を含め日本の多くの人もマラリアを熱帯地方の病だと思っているが、蚊と感染者が両方存在するという条件さえそろえば、日本でも感染者は今以上に増加するし、過去の歴史にあったように「おこり」という名で「慢性化」していた時代に戻る危険性は十分にある。

 新型コロナやマラリアと共生する世の中など、これらの病気で亡くなった方の遺族や近しい人々にとっては、怒りをおぼえる話かも知れない。だが、いくら新薬を開発しても程なく耐性をそなえ、病原と医学のいたちごっこが続いてきた経緯を考えると、コロナとの戦争、マラリアの撲滅……式の「病気とたたかう」「病原菌やウィルスを除去する」という発想は、少し立ち止まって考えてみる必要があるように思う。「あとがき」に書かれた橋本さんの文章を引用してみる。

 現代、高度に発達した文明社会に住む私たちにとって、マラリアは、すでに遠い記憶となっている。しかし、この記憶は、人類進化の過程に組み込まれていたという点で、国籍と人種を問わず、全人類に共通の記憶だといってもさしつかえない。いうなれば、私たちの祖先は、例外なくマラリア患者だった。
 そして、今なお、熱帯・亜熱帯地域に住む多くの人びとが、この太古の記憶を身をもって生きている。記憶ははるかだが、消え去ったわけではない。これは、何を暗示するのだろうか。
 近代以降、医学は諸病の根絶というヴィジョンを掲げ、ありとあらゆる病に対する果敢な挑戦を開始した。天然痘は地上から消え、ガンも制圧の目途が立ち、エイズの治療法も刻々と開発されている。それでもマラリアは根絶に到らない。これは何を意味するのだろうか。
 かつて、人間と病気との闘いは、人間の病気に対する一方的な攻撃の謂ではなかった。それは人間と病気との関係性の問題であり、そこから生ずる葛藤の克服を意味した。すなわち、闘いとは、両者が相互に安定した共存のレヴェルを求めつつ、異種間の適応を重ねていくということであった。ペストでさえ、思うまま猛威をふるった後には、新たな生命の誕生をゆるしたのである。
 マラリアは、長期にわたって保たれたこのような関係性と、その破綻の歴史を端的に物語る好個の例証である。
 十七世紀、文明による未開の征服という近代のヴィジョンが、人間にキニーネという武器をとらせて以来、本来、対等であろうとする人間と寄生虫との関係性のバランスは崩れ、人間の優勢は決定的になった。次いで、植民地支配と侵略戦争が、マラリアに残された潜勢的支配圏を急速に狭め、やがて現在の分布図ができあがった。これをとりあえずは人間の勝利と呼んでおこう。しかし、勝利は分布の境界線上に多くの犠牲を払い、境界内の範囲がなお縮小する可能性が皆無でないのと同様、勝利そのものもまた恒久的ではない。このことは何かを意味し、あるいは暗示しているのだろうか。答えは、未来からふりかえる視線によってしか明らかにされないにしても、問い続けるに価する問いであることは間違いない。
 少なくとも確かなのは、生かさず殺さず、生涯にわたって宿主の健康を蝕む慢性病としての負荷を担いながら、マラリア流行地に住む人びとが、はるかな昔から無数の世代を重ねて積み上げてきた知恵—民族学的な、また免疫学的な—が、寡黙に、ほとんど無言で、近代医学が陥った陥穽の位置を指し示しているということである。

(同書、217-218頁)


 それから約30年後、橋本さんが「未来からふりかえる視線によってしか明らかにされない」と言った「答え」、その意味を、現下のコロナ禍に考えているとは、何とも不思議な“縁”だと思う。



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