また日経ビジネスの小田嶋隆さんのコラム「ア・ピース・オブ・警句」を読んでいる。6月5日付「荒れるアメリカがうらやましい理由」の末尾に、先回の“白黒をつけない政治”につながる話を見た(ような気がした)。一部引用させていただく。
……新型コロナウイルスは、様々な場所で、その息苦しくも無差別な圧力によって、それまで隠されていた社会の問題を顕在化させている。
新型コロナウイルス以前に、アメリカに人種問題が存在していなかったわけではない。人種をめぐる問題は、あの国の歴史が始まって以来、常に底流していた。当然だ。1964年に公民権法が成立した後も、社会のあらゆる場所で対立と緊張を生み出していたというふうに考えなければならない。
それが、今回、ウイルスがもたらした緊張と不安の中で爆発したわけだ。………面白いのは(いや、実際には面白くもなんともないのだが)、アメリカ社会において、人種問題に着せかけられていたマスクを剥ぎ取る役割を果たした新型コロナウイルスが、日本では、むしろ既にある様々な矛盾や不都合を隠蔽する方向の圧力として機能していることだ。
既に報道されているところによれば、中小企業に最大二百万円を支給する持続化給付金で、一般社団法人サービスデザイン推進協議会から事業の再委託を受けた広告大手の電通がさらに、人材派遣のパソナやIT業のトランスコスモスに業務を外注していたことが判明している。
さらに、新型コロナウイルスをめぐる専門家会議の初回と3回目について、議事録が作成されていなかったのみならず、速記者さえ入っていなかったことが明らかになっている。
また、赤羽一嘉国交相は、6月3日の衆院国交委員会で、新型コロナウイルスで需要が落ち込んだ観光や飲食産業を支援する政府の「Go Toキャンペーン事業」で、事業者を選定する第三者委員会についても、メンバーや議事録などを公表する予定がないことを明らかにしている。
日米両国のニュース報道を見比べていると、「対立と分断」を繰り返しつつ、その軋轢と矛盾を乗り越えることで社会の基盤を整えてきた国と、「忖度と同調」を第一とし、危機に陥れば陥るほど、いよいよあらゆるものを隠蔽しにかかる国の違いに、しばし呆然としてしまう。
われわれは、この先、誰かにとって都合の悪いすべてのものを隠蔽し、曖昧にし、忘却し、廃棄し、改ざんしながら、寄ってたかって歴史を推敲して行くことになるはずだ。
混乱している国の荒れ果てた現状をうらやむのが、奇妙な心理であることは承知している。
でも、互いの顔色をうかがってはウソばかりを言い合っている不潔な食卓よりは、口論の多い食卓のほうが健康的だ、と私はそう考えています。………
互いの顔色をうかがってひそひそとウソばかり話している食卓は、口角泡を飛ばす食卓よりはコロナに感染しないかもしれないが、それではそもそも食べていてもおいしくない、と小生はそう考える。
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