平野啓一郎さん。作家。1999年、大学在学中に芥川賞を受賞。生まれは愛知県で、2歳から高校時代までを北九州で過ごしていたとは知らなかった。作品を書店で手に取ってみたこともあるが、そこまで……だった。よくTwitterでの発言を目にしていたが、5月25日付「西日本新聞」に次のようなコラムを見つけた。一部略で引用する。
【政治について語ること】 平野啓一郎さん|【西日本新聞ニュース】
「政治について語ること」は、依然としてタブー視されがちである。
政治は立法を伴って、一つの社会システムを形成するために、対立する意見に優劣をつけ、選択を迫ることになる。政治の議論は、互いの違いを認め合う次元であれば、「そんな意見もあるよね。」で済むが、根本的には、私たちが生きるこの社会の「あるべき姿」に関わっており、それ故に、選挙でどの政党に投票するか、といった現実的な選択になると、分断と対立が引き起こされがちである。
その一方で、例えば、夫婦別姓制度などは、是か非か以外に選択制という第三の道がある。「妥協」というと、「敵-友」といった単純な二項対立的政治観に立てば、否定的な意味となろうが、本来は多様な人間が共存するための必然的調整であり、その妥協点を模索する過程こそが、政治にとっては重要である。
日本の選挙制度は命令委任ではなく自由委任だが、現実には、政党が作られ、公約が示され、有権者は世論を通じて政治家の行動をチェックしつつ、間接民主制を機能させている。敢えて言えば、選挙はたかだか、議会の構成を決定するに過ぎず、勝てば政権与党に近づくし、その後の立法過程でも有利だが、負ければ不利というに過ぎない。
それでも、多様な人々がこの社会に存在していて、その代表が集結しているという事実は、まさに議会に於いて現前しているのであり、政治はその反映でなければならない。選挙で負けたからには、野党は与党に従うべきだ、などというのは、浅薄な誤解であり、だからこそ、強行採決などは許されないのである。
私たちは、民主主義国家の国民である。この国をどうしたいか、どうすべきか、どうできるかは、私たち一人一人が考え、政治参加を通じて実現してゆくしかない。
小説家は架空の物語に浸っていろ、俳優は芝居だけで十分、飲料メーカーの社員はジュースのことだけ心配していろ、……などというのは愚論であり、それぞれに出版業界、エンタメ産業、飲食業界に属する社会人であり、消費者であり、家族の一員でもあれば、地域の住民でもあり、また、感染症に罹る一個の人間でもある。
勿論、年がら年中、政治の話をしている必要はないし、態度を決めかねて言及できない問題もあろう。意見の異なる人からは批判もされるが、よく調べ、よく考えて、かえって理解が深まることもある。同意しないのも自由である。他方、共感し、賛同してくれる人からは大いに勇気づけられる。生きるか死ぬか、という切羽詰まった状況では、必死の叫びを上げるべきだろう。政府が横暴であるならば、ただ反対で十分であり、現状で問題がないならば対案など必要ない。
政府の能力を見限れば、不支持を表明することである。追い詰められれば、与党も野党も、後任を立てるだろう。しかし寧ろ、市民の側から相応しい人間を見定め、代表として国政の場へと送り出さなければならない。
日本の現状は、決して楽観できない。今、「政治について語ること」を避けて、いつ語るのか。
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