ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

人が政治に向き合うとき

 昨日、政府・与党は「検察庁法改正案」の今国会成立を断念、安倍首相が夕方ぶら下がり会見をした。しかし、「今回の公務員制度の改革について……、丁寧にしっかりと説明していくことが大切なんだろう」という安倍氏の「釈明」には違和感をもたれた方が多いと思う。国民の多くは「検察庁法改正」を批判したのであって、それと抱き合わせにした「国家公務員の定年延長」を問題にしたのではない。この首相は、どういう局面であっても、ウソやすり替えをしないではいられない人のようだ。次に向けてどんな布石をうってくるか、警戒心を解くわけにはいかない。
 とはいえ、今回強行採決を阻止しえたことには大きな意味があった。詳しい分析は専門家に任せるが、採決阻止の基盤となった世論に着目してみたい。
 18日、各種の世論調査が発表され、たとえばANNの調査では、内閣を「支持する」が32.8%で、先回3月よりも7.0ポイント下落したものの、森友・加計問題への批判が高まった2018年4月の29.0%よりはまだ高い!(ちなみに「支持しない」は48.5%で、前回よりも9.9ポイント増)。支持率の低下が政権に心理的ダメージを与えないはずはないが(FNNの世論調査では逆に支持率が上がっていたりする!)、今回世論形成に最も大きな役割を果たしたのが「#」のTwitterデモではなかったか。燎原の火のように広がっていったこの「デモ」に政権、というより与党議員たちが抱いた“恐怖感”は並大抵ではなかった。地元の有権者から次々と「もし、強行採決したら、次の選挙では投票しないから」と言われた彼らは“真っ青”になったのでは……。

 その「#検察庁法改正案に抗議します」の発案者である笛美さんがこの間のことを「回顧」し、メモを残してくれていて、これを眺めているうちに、いろいろと考えさせられた。政治と向き合う中で個人の意識はどう変化していくのか、そしてまた、他人とのつながりをどうとらえていくのか。彼女のスタートラインを知るため、冒頭部分だけ引用させていただく。

#検察庁法改正案に抗議します デモで知った小さな声を上げることの大切さ|笛美|note

 私は30代の会社員で、広告制作の仕事をしています。ずっと仕事一筋で政治に無関心な人生を送ってきました。
 2年前くらいから日本で女性として生きるしんどさを感じてフェミニズムに興味を持つようになり、Twitterで発信を始めました。現実世界にフェミニストの友達もいないので、Twitterフェミニストさん達とつながる貴重な場でしたから。普段から女性の権利や社会問題について話しているので、政治の話をしても全く空気が壊れないコミュニティです。
 国会を真面目に見始めたのは最近のことです。マスク2枚とかお肉券とかお魚券とかGOTOキャンペーンなどの政策が発表され、国民の生活が逼迫しているときにおかしいなと思い始め、初めてまともに国会を見るようになりました。
 でも国会を見ているうちに、首相や大臣の答弁がちゃんとした答えになってなかったり、コロナ患者の数を答えられなかったり、納得いく議論もせずに法案を通したり…。政治家さんは政治のプロだから任せておけば大丈夫と思っていたけど、疑問を持ち始めました。
 ずっと家にいて暇だったので、報道ステーションのワイマール憲法特集の動画を見たり、北海道放送制作のドキュメンタリー「ヤジと民主主義」を見たり、ニコ生の安倍首相の番組を見たり、政治について気になることを調べるようになりました。
 国会ではちゃんと答弁できてない内閣の皆さんなのに、テレビのニュースで見るとちゃんと仕事してるように見えるんですよね。
 私は広告を作る側だからこそ思うのですが、国会での微妙な答弁を演出でカバーしようとしている気も少ししてしまって。テレビもどこまで信じていいのか分からない中、内閣のおかしな予算配分や政策に市民と同じ感覚で突っ込んでるのが野党の人たちでした。
 野党の全てを讃えるつもりはないけど、少なくとも「野党はだらしない。仕事してない。」ていうのは当てはまらないのではないかと思いました。

 選挙の投票率の低下にも現れているが、人々の政治的無関心や政治離れが言われて久しい。その原因のひとつは笛美さんのメモでもさらっと触れられていて、つまり、「仕事一筋」だと政治に目が向かなくなるということだろう。それは、仕事がうまくいっていて仕事にのめりこんでいるような人もそうだし、会社に時間も体力も知力も吸い取られ「社畜」にされているような人もそうだと思う。しかし、仕事ばかりしていても、何かしらの壁や疑問にぶつかる場面というのはあるもので、笛美さんの場合は女性である自分に向けられた“不条理”な何かだったのではないか。彼女は同じような感じをもっている人々と話し始め、だんだんと世界(世間)を広げていった。そして、今回のコロナ禍。「外出自粛」で在宅時間が長くなり、暇な時間に国会中継を見ていて、「えっ?」とか、「あれっ?」とか思うことが重なっていった。そのうちに、生じた疑問が1つ、2つとだんだんと結びついて“塊”になっていき、ついに“琴線”に触れる疑問に出くわすわけだ。それが、「自粛と補償のセット」であったし、続く「検察庁法改正案」だったのだろう。この疑念を他の人にどう伝え、どう発信したらいいか。彼女は声を上げることのしんどさにも触れている。

 笛美さんのメモを読んでいて、2008年に亡くなった加藤周一さんが「世直し」について述べていたことを思い出した。加藤さんが「凡人会」という勉強会で話した内容は『テロリズムと日常性 「9・11」と「世なおし」68年』(青木書店 2002年)という本にまとめられた。だいぶ前に読んだ本だが、加藤さんが生きていたら、今回のTwitterデモをどう見るかなあと思った。結びに、次の一節を引用する。

 現在の日本には、たとえば、この凡人会のように、市民が自発的に集まる小さなグループがたくさんありますね。この規模の小ささは、権力が目配りして統制しにくいのが利点ですが、一方で、社会的な力をもちにくいのが弱点でしょう。しかし、その小さなグループのいくつかが連携して、具体的な問題を一つ解決する。そういう流れをだんだん広めていって、地方行政を動かすような規模になって、ある程度の社会的な力をもつ……ということがあり得るんじゃないか。
(同書、83頁)


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