ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

内田樹さんの提言

 文春オンラインに「「無策な安倍政権」をいまだに支持し続ける人がいる理由――内田樹の緊急提言」が昨日付けで配信されていることを知った(もともとは『週刊文春』2020年4月9日号の記事らしい)。一週間前のインタヴューの記事に重なる部分もあったが、こちらの方がより包括的。文春さん、一部引用させてください。

「無策な安倍政権」をいまだに支持し続ける人がいる理由――内田樹の緊急提言(文春オンライン) - Yahoo!ニュース


………それにしても、どうしてこれほど無能無策な政権が40%を超える支持率を維持し続けているのでしょうか。イデオロギー的に安倍政権を支持しているという人は自民党支持層の半分以下だと思います。では、あとの支持者たちは何を支持しているのか。世論調査ではしばしば「他にいないから」というのが支持理由の第1位に挙げられます。それは言い換えると「安倍晋三が総理大臣に適格なのは現に総理大臣だから」というトートロジーに他なりません。
 コラムニストの小田嶋隆さんが、前にツイッター麻生太郎を批判したことがありました。すると「そういうことは自分が財務大臣になってから言え」というリプライが飛んできたそうです。財務大臣以外に財務大臣の政策や資質の適否について論じる資格はない、と。このロジックは実はこの10年ほど日本社会に広く蔓延しているものです。僕も政治について意見を言うと「だったら自分が国会議員に立候補しろ」というふうに絡んでくる人がいます。国会議員以外は国政について議する資格はないらしい。同じロジックをあちこちで聴きます。ユーチューバーが他の人のコンテンツを批判したら「フォロワーが同じくらいになってから言え」と言われ、ネットで富豪の言動を批判したら「あれくらい金持ちになってから言え」と言われる。権力者や富裕者を批判することは、同レベルの権力者や富裕者だけにしか許されないという不思議な論法が行き交っているのです。自分より「上位」の人間を批判する動機は嫉妬であり、羨望である。そうなりたくてもなれない人間のひがみである。見苦しいから止めろ、と。それは要するに「絶対的な現状肯定」ということです。貧乏人や弱者は「身の程を知れ」「分際をわきまえろ」ということです。そういう言葉を口にするのが、実際にはお金もない、地位もない、社会的弱者であるというのが不可解です。
 「桜を見る会」の問題でも、総理大臣が自分の支持者を呼んで税金で接待することのどこが悪いのか、と本気で不思議がっている人がいます。別にいいじゃないか、何が悪いのか? 権力者というのは「何をしても罰されない人」のことではないのか? 法の支配に服しない人のことではないのか? 安倍晋三は権力者なのだから、何をしても罰されないし、法の支配に服さないでいいはずだ。そういうポストに就くために久しく努力してきて、その甲斐あって権力者になったのだから、下々の者にそれを批判する権利はない。批判したかったら自分が安倍晋三のポストに就いてみろ、と。そういうロジックがリアリズムだと本気で信じている。………
 現政権が支持されているのは端的に日本が落ち目だからです。貧乏くさい国では、人々は隣人の「身の程知らず」のふるまいを規制することにはずいぶん熱心だけれども、創意工夫には何の関心も示さなくなる。隣の人間の箸の上げ下ろしにまでうるさく口を出すのは、限られた資源を奪い合うためです。国を豊かにするためではない。
 今は船が沈みかかっている時です。積み荷の分配で議論している暇はありません。この船の船底のどこかに大穴が空いている。それを見つけて、穴を塞ぐのが最優先です。そのための時間はもうあまり残されていません。

 確かに、これでは「上位に逆らわない」「現状肯定」の風潮が醸成される。1年半くらい前、大学生だった姪にモリカケの話をしたら、「大学でそんなことを話している人はいない」と言っていた。公金(税金)の遣われ方、その手続き・決定のプロセスに問題があるというこちらの説明にもあまりピンとこない様子であった。姪らの反応が典型かどうかはわからないが、若い人が社会正義に無関心だとすれば、それは健全なことではないだろう。そういう国、そういう社会にしてしまっているのか、と。