デモクラシータイムスのウィークエンドニュース最新版(2020年4月3日)を見た。「新型コロナ 重大局面 東京はニューヨークになるか」と題し、児玉龍彦さん(東大先端研)の話を他の出演者みんなで聞くという内容であった。
まず、①検査制限論はまちがいであること。医療崩壊を避けるための検査の抑制は、実態を不明にし、かえって病院関係者や医師を感染させ、医療崩壊を招いていく。検査数の多さが原因で医療崩壊を起こしている国、事例は報告されていないとのこと。データ集積の方法もずさんらしく、そういうあてにならない数値では感染の実態は把握しようがなく、効果的な対策をうちようがない。
そして、②行政に蔓延する逃げの姿勢。積極的に検査をしない、データから事実を明らかにしようとしない、それゆえに適切な対策をとらない…。行政に逃げ、逃げの「不作為」が蔓延していて、社会が“しくみ”としてこの問題に対応できていないこと。失敗が明々白々になったとき、だれが貧乏くじを引くか。そういうものの考え方しかしないから、「最前線」で苦闘している医療関係者、短期間で驚くほどに重症化する感染者、不安を抱える国民たちをしり目に、もう責任回避となすり合いの伏線張りが進行しているかもしれない。<青字はAmurinの意見>
また、③この新型コロナ・ウィルスは「進化」のスピードが非常にはやい。中国からヨーロッパ、あるいはアメリカへと感染が拡がっていくうちに遺伝子配列(シークエンス?)がどんどん変化していき、もしかすると我々は同じウィルスと対峙していないのかもしれない。他の薬が治療薬として使えるのではないかと伝えられているが(たとえば、抗インフルエンザ薬のアビガンなど)、逆に、これだけ「進化」のスピードがはやいウィルスだと短期間にそうした薬の耐性を身につけて別の姿に変異していく危険もある。しかし、専門家会議に遺伝子解析の話ができる人はほぼ含まれていないという。
最後に、どうするか。児玉さんは、④リーダーを替えるべきだと言う。たとえば、学校一斉休校は、そもそも総理大臣が言い出したのに、文科大臣は状況をふまえて自主的に…と言い、結局、ことが起これば学校と教員に責任が押し付けられる。こうした「不作為」が体系化(無責任体系?)すると、個別の利害ばかり追求する輩が次々と現れ、事態の解決を妨げていく。火事が大きくなっているのに、火消しのリーダーがいない(バケツを各家庭に2個ずつ配るのでそれで水を汲んで火にかけて…と言い出す人がリーダーとして適任かどうかということ!!)。専門家集団、医師会、役所……ジャーナリズムも同様。サンプリング体制を整え、検査を他国と同じようにやること。その基点はつねに、人の命を守ること。
この感染者数のペースからすると、東京だけが例外的に感染者数を抑えられるとは考えにくい。