ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「夫は守られなくて、佐川さんは守られた」

 「森友」問題にかかわる財務省の公文書改竄と関係者の人事異動により、自分一人に責任が押しつけられると鬱病を発症し、命を絶った近畿財務局職員・赤木俊夫さん。妻の雅子さんが、夫の死の真相を知るため、当時の財務省理財局長・佐川宣寿(のぶひさ)氏を相手に起こしていた損害賠償訴訟の大阪地裁判決が昨日(25日)ありましたが、請求は棄却されました。
 当初佐川氏とともに訴えられていた国は、2021年12月、「認諾」して賠償責任を認めたために、訴訟は終結し(させられ)、残ったのがこの佐川氏との訴訟でしたが、結局、請求は棄却、佐川氏ほか当時の関係者の尋問も認められませんでした。
「結局、夫は守られなくって、佐川さんは守られた」公文書改ざん問題で赤木俊夫さんの妻・雅子さんの賠償請求が棄却(1/2)〈AERA〉 | AERA dot. (アエラドット)
「バッサリと切られた」赤木さん妻、判決に憤り 森友文書改ざん | 毎日新聞

 国家公務員が職務の上で何らかの損害を与えた場合、国が賠償責任を負い、公務員個人は責任を負わないとする最高裁判例があるようですが、これは再考されるべきで、せめて証人尋問くらいはしないと、損害事実の認定に説得力がないと思います。しかも、判決の前日には、神戸連続児童殺傷事件など少年犯罪の裁判記録の廃棄に続き、オウム真理教の解散命令にかかわる記録が廃棄されていたことが判明しました(東京地裁は「廃棄は事実で、2006年3月8日だった」と回答)。公文書を国民の財産ととらえれば、財産を毀損しても、公務員だけは個人の責任を問われないのですから、無責任を助長してしまいます。それでも普通内部で譴責なり処分なりがあるから、まだ抑えになるのに、佐川氏らの場合、それさえなく、逆に「出世」しています。処分どころかご栄達。減給どころか昇給ですから。
統一教会問題で注目される「オウム解散命令」の裁判記録が廃棄 学生の調査報告が話題 - 弁護士ドットコム

 11月25日付の朝日新聞の記事にジャーナリストの江川紹子さんのコメントが掲載されていますが、小生も、公文書の改竄は犯罪行為であって、これを官僚の通常業務(の延長)にしてしまってはいけないと思います。それとも、財務省の官僚以下、彼らは日常的に文書を改竄しているから、通常業務とみなしてよいということなのでしょうか。以下、江川さんのコメントの引用をお許しください。
公文書改ざん、佐川氏の責任認めず 地裁、赤木雅子さんの請求棄却:朝日新聞デジタル

 佐川氏の証人尋問を認めなかった段階で結論は予想できたが、国民の1人としては得心がいかない。
 国家公務員が業務で行ったことによる損害は国が賠償するというルールは分かるにしても、公文書を改ざんするという、決してあってはならない行為を、「業務」のように扱ってしまっていいのだろうか。
 佐川氏は、国会に証人喚問された際、刑事訴追を受けるおそれがあるとして、改ざんの経緯に関する証言を拒んだ。その刑事事件は、不起訴処分で終わっている。結局、国民に対しても、赤木俊夫さんの妻にも、彼は説明責任を果たさず、そのうえ改ざんは業務の中で行われたものだから賠償責任もない、というのだ。 
 国が早々に原告の主張を「認諾」し、賠償金を払って被告の座から離脱したことも、今なお納得がいかない。1億円余りに上るこの金の原資は税金である。私たちが納めた税金が、真相の隠蔽に使われたのではないか。
 大阪地検特捜部の主任検事が証拠改ざんをした郵便不正事件で冤罪に巻き込まれた村木厚子さんが、ことの真相を知ろうと国家賠償訴訟を起こした時も、国は同様の手口を使った。
 国の不正を裁判で明らかにしようとするなら、多額の手数料を負担して、100億円とか500億円といった常識外の金額を請求し、認諾を防ぐことを考えなければならないのかもしれない。
 なんとも情けないことではないか。




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使い勝手のよい国民

 昨日サッカーの日本代表がドイツに勝ったあとの「反応」「反響」などには、「国民性」というか、内面化される「日本人」性なるものについて、考えさせられました。

 ひとつめは直後の試合会場での出来事。試合が終わったスタジアムでは、日本人サポーターが現地のボランティアらと一緒に(恒例の?)会場のゴミ拾いをしたとのことですが、「日本人は試合会場にゴミを残さない」どころか「終わってからゴミ拾いをする人々」だと、世界の人に知れ渡っているようで、昨日はボランティア・スタッフの代表がメガホンでお礼を言っている動画を見ました。会場を管理運営する立場からすれば、わざわざ残って手伝ってくれてありがとうという気持ちになるのはよくわかりますし、直接感謝された日本人サポーターだってもちろん悪い気はしないと思います。これを「日本人の誇り」とRTする人もたくさんいました。
 世界から賞賛されているというこの素晴らしき「公徳心」は、あえて言うならば、たとえばドイツ選手が試合前に全員に口を手で覆う姿で写真におさまり、それを是とする人々の「公徳心」とはちがう気がします。もちろん道徳と人権意識はちがいますから、立ち位置がちがえば、見えている光景がちがってくるのは当然です。
 試合会場でゴミがたくさん出れば、何でゴミを残したまま帰ってしまうんだという観客のモラルの問題が当然意識されます。しかし、人によっては、それにとどまらず他の大量生産・大量消費・大量廃棄の問題を類推したり、中には海洋廃棄や宇宙ゴミまで連想する人がいるかも知れません。でも、おそらく多くの人は、そういうのは「野暮」ったいから、そこまで話がふくらむ前に思考を止めるでしょう。それは日本人に限りませんし、ドイツの人だってそんなには変わらないでしょう。個人の力で何とかなるレベルではないし……。そんなことより目の前のゴミを拾って、綺麗にする。個人で出来ることをやる方がよっぽどいいからです。
 ただし、ボランティア精神あふれる立派な人たちの姿を見て「日本人」はみんなそういうものだと思われると、そうでない部分を目にしたときのギャップは大きいでしょう。そんなことは多かれ少なかれどこの国民にも当てはまると思いますが、他国もこんなに「人目」や「自画像」制作にはたして熱心かどうか。
Kazuki Okamoto | オカモト・カズキ on Twitter: "ドイツ戦直後、日本人サポーターによるスタジアムのゴミ拾い活動についてボランティアスタッフから直接御礼を言いたいとのことで急遽集められました。 本当に凄い光景です🇯🇵🇶🇦 https://t.co/Eck5qszo5V" / Twitter
日本戦でドイツ代表が行なった“口を隠すポーズ”の意味は? DFBがFIFAの決定に強い抗議の意思を示す【W杯】 | サッカーダイジェストWeb

 もうひとつは駐日ジョージア大使のTweet。試合後におもしろいつぶやきをしていましたが、その反響が興味深い。

 アルゼンチンに勝った翌日サウジアラビアは祝日を発表しました。これを受けて「日本がドイツに勝ったけど、明日どうなるかな」と昨日妻に聞いたら「日本はきっと二倍働く」と名答を返されました。
https://twitter.com/TeimurazLezhava/status/1595607069691822080

 これが「名答」なのは、日本の勝利にテンションが上がって自分もよく働いたというRTがいくつも上がっていることで「証明」されている気がします。大使は母国ジョージアのチームが強豪ドイツに勝ったら……ということには触れていませんが、まあ想像はできます。毎月何かにつけては酒を飲む「日本全国酒飲み音頭」というのがありますが、お祝いにかこつけて酒を飲むのが、日本ではなく世界の「平均」だとするなら、自国チームが強豪チームに勝って大番狂わせを演じると、単に気分がいいだけでなく、モチベーションがあがって仕事(賃金労働)を一生懸命やるというのは、嫌々働くよりはいいにしても、世界の人々にとってはやはり驚きではないかと思います。

 試合後の会場の片付けをボランティアで手伝ったり、自国の勝利の祝意で労働意欲上がったり、程度問題はありますが、個々には何てことのない話の断片です。しかし、今朝もテレビで(テレ朝のモーニングショーでしたか)、こうした話題を取り上げながら、世界中から賞賛を浴びる日本、などと強調していました。そろそろ外国人から「すごい」と言われたいとか、自尊心をくすぐられて気持ちがいい式の報道から脱却できないものかと思いますし、これは「外国人の賞賛」を御旗(媒介)にした内面操作ではないかという気がします。というのも、この賛美されている日本人の「公徳心」「ボランティア意識」が、こと政治に向けられると、途端に国内メディアの報道がしぼんでしまい、国民に思考停止や同調を迫るケースが多いからです。これには、やはり歯がゆさをおぼえます。自主的にゴミを拾って賞賛されるなら、たとえゴミを拾わなくても、社会の不正義に自主的に声を上げ、自主的に投票に行って住みやすい国、住みやすい世の中にしようとする意思のある国民であれば、同じように外国から賞賛されるでしょう。政府に都合の悪い自主性は「自主的」に回避(自粛・忖度)しているとしたら、そんな「使い勝手のよい国民」ではいけないと思います。





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W杯サッカー ドイツに勝利すれど……

 カタールで開催中のW杯サッカーでサウジアラビアがアルゼンチンに勝って「おーっ」と思いましたが、今度は何と日本がドイツに勝ってしまいました。もし、ドイツに勝てるとしたら初戦しかない、チャンスはあるかも、くらいには思っていましたが、本当に勝つとは、驚きです。
 人気スポーツのサッカーゆえに、始まる前からだいぶ盛り上がっていましたが、NHKが昨日(23日)昼のニュースのトップで、「今晩いよいよドイツ戦」と伝え、試合の始まる22:00の3時間も前から特別番組を組んでる様には呆れました。サッカー好きは多いけれど、公共放送が一緒にはしゃいでしまうのは、どうなのかと思います。
 特に、今東京オリンピック汚職の捜査が進み、国家的行事としてスポーツイヴェントを催行することの意味が問われているのですから、NHKは公共放送としてそれなりの距離感をもって報道しないといけないと思います。ドイツでは、人権問題などから今次のカタール大会には批判の声が強く、恒例だったパブリック・ビューイングが中止されたようです。こういう情勢がドイツ選手の士気にも影響しているのでしょうか。
 以下は、11月23日付時事ドットコムの記事。
氷点下のW杯サッカー、熱気乏しく 人権重視しボイコットの動き―ドイツ:時事ドットコム

 英紙ガーディアンによると、カタールではスタジアム建設などに従事した外国人労働者6500人以上が、過酷な労働で死亡したとされる。同性愛が違法で厳しい刑罰の対象となっているカタールの現状に抗議するため、選手が性的少数者(LGBTなど)を支持する虹色の腕章を着用して試合に臨もうとし、主催者側に禁じられる一幕もあった。
 独公共放送ARDの世論調査によると、56%が今大会を「全く見ない」と回答。理由の1位(50%)は「サッカーに関心がない」で、2位(41%)が「人権」だった。ドイツではW杯期間中、国旗が車や家に飾られるのが常だが、今回はほとんど見られない。
 一方、大会を政治的主張の機会と捉える風潮に批判的な向きもある。西部ミュールハイムのスポーツバー「ラウホファング」の店主の男性は、取材に「多くのファンはボイコットにいら立っている。過度な政治化はスポーツの楽しみを奪う」と苦々しげに語った。

 11月24日付朝日新聞にもこうあります(年齢は省略しました)。
ドイツのバー、立ちすくむファン「一緒にトーナメントに上がれれば」 - サッカーワールドカップ(W杯):朝日新聞デジタル

サッカーワールドカップ(W杯)カタール大会で23日、日本と対戦したドイツチームを応援するため、ベルリンのスポーツバーには大勢のファンたちが集まった。サッカー大国ドイツにとってはまさかの敗戦で、日本が立て続けにゴールを奪うと、「信じられない」という表情で立ちすくむファンも。一方で、記者に握手を求めたり、親指を立てて祝福するファンもいた。
 「3対1」でドイツが勝つと予想していたツアーガイドのシュテファンさんは「特に後半はとても興奮するゲームだった。ドイツも頑張ったが、日本はさらに上だった。ドイツは準備不足だった。日本と一緒にトーナメントに上がれればうれしい」と話した。
…………
 カタールでの外国人労働者の人権問題や性的少数者への非寛容な態度から、ドイツでは大会開催を批判する人が多い。
 過去の大会で各地で催されてきたパブリック・ビューイング(PV)は相次いで中止になり、テレビ中継を流さないバーもたくさんある。
 学生のマイヤーさんは「批判は大事だが、政治的な理由で放送を見せないというのは残念なことだ」と話した。
 ツアーガイドのシュテファンさんは「私自身は試合を見たい。このバーはとても国際的な雰囲気で、誰もがサッカーを楽しんでいる」と話した。

 「日本と一緒にトーナメントに上がれればうれしい」という言葉には品のよさを感じます。これはNHKではなかったと思いますが、試合前に相手国のドイツの街頭で日本との試合についてインタヴューする映像をいくつか見たとき、ある女性の応答にも感心しました。この方はサッカーをよく観戦する人のようですが、日本人選手で誰に注目していますかと訊かれて、(アイントラハト・フランクフルトで活躍中の)鎌田大地選手だと答えた彼女は、続けて「でも、鎌田選手に何点とられても大丈夫、ドイツがそれより1点だけ多くとるから」(大意)と笑顔で答えていたのです。こういう答えを自然に返せる人が日本にいないとは思いませんが、メディアがスポーツの大会に子どものようにはしゃいだり、あるいは、立場のある人が内輪では失言暴言、公式の場では人の書いた作文を読み上げたりする「文化」では、こういう人は確実に減るだろうなと思います。





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