ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

杉田水脈氏の政務官起用について

 今回の岸田政権の内閣改造を見ていて感じたこと――「内輪の論理」。
 「外面だけ取り繕う」という言い方もありますが、今回は「繕う」気も見えません。あるいは、「ダブルスタンダード」という語もあり、これは「二重規範(二枚舌)」という意味で、日本政府の行動様式を示す用語として長く使われてきましたが、「変数」はいくつかあるとしても、内と外と「方程式(規範?)」が2つあるようにも思えないので、これもちがうかなと思います。
 もっと言うなら、もはや「二重規範」を維持できないのです。異種の規範の並立を支え、整合性を保ち、何とか取り繕う能力は官僚や政治家の技能(技芸)のひとつだったと思うのですが、日本の政治家にそういうものは必要なくなりました。そんなものよりは「厚顔無恥」や「鉄面皮」の方がよっぽど役に立つ資質です(ある意味、これも「技能」かも知れませんが)。ウソの帳尻を合わせることより、帳尻が合わないウソを気にしないことが政治家の資質になったようです。特に、2012年の第二次安倍政権以降は……。
 要するに、「外」から何と言われようと、内輪にあって権力に近い者ほど、おぼえめでたく優遇されるということでしょう。銃撃された安倍氏統一教会と近しいことを知った自民党議員が、我も我もと次々と統一教会との結びつきを強め(安倍氏他にアピールし)、選挙の票を回してもらって、続々と政務官や大臣に出世していく様は、安倍氏がこの世を去っても、なお継承されているということです。これは、統一教会を介したおトモダチ内閣の継続と言ってもよい。

 岸田首相は統一教会との結びつきを “断つ” とは言いませんでした。これは、気概がないというより、実体として関係を断つことができないということでしょう。それほど、統一教会自民党議員の関係は深いし、がんじがらめになっている。だから、「身体検査」もやらないし、たぶんあらかた状況を把握していても、「個人の申告」で出てきた以上のことは追及しないことにした。
 そんな「及び腰」を見透かしたように、山際大志郎・経済再生担当大臣は、自身の統一教会との「関係」について、前々から周囲に指摘されていたのにもかかわらず、「締め切り」が過ぎるまで調査中と黙ってやり過ごす「すっとぼけ」戦術を活用し、そのまま大臣に居座ることに成功しました。他にも統一教会がらみの大臣・副大臣政務官は大勢いるし、自分一人だけが攻撃目標になることはない。1回記者会見をやって30分くらい辛抱して、あとはぶら下がり記者を適当にあしらっておけば、そのうち話題にもならなくなる、と。

 しかし、今回の改造人事で最も驚愕し、許しがたいと思ったのは、その差別言動が糾弾され、議員辞職要求の署名まで上がったことのある杉田水脈氏の政務官起用です。 「#杉田水脈氏の総務政務官起用に抗議します」など、すでに他の多くの人が疑義や抗議の声を上げているので、多くは書きませんが、これも「内輪の論理」、おトモダチ政治のなせるわざでしょう。
 杉田氏を政務官に就けることには、当然内部から疑問や諫める声は上がったはずです(まともな組織団体なら)。それでも、あえてこれを推挙するグループが強行し、最終的に岸田首相が「これでいく」と決断するわけですから、これはかなり重症というか、感覚が極度に麻痺しているとしか思えません。

 杉田氏を政務官に任命するというのは、国民はおろか、世界に向けて、日本は差別主義の国であることを公言するようなものです。この国は、今までも差別主義者の発言がくり返され、批判・嘲笑されてきましたが、これを反省して是正するのではなく、今度は政策を通じて差別主義を発信すると宣言しているわけです。
 杉田氏は2019年4月、旧統一協会の別動組織「国際勝共連合」と関係が深い団体主催の会合で講演しています。その思想性といい、統一教会の世界観を体現するような働きをしているといっても過言ではありません。こういう人を政務官に任命して政務の陣頭指揮をとらせるとしたら、これこそ、もはや単なる宗教団体とは言えない反社会的政治団体自民党の癒着問題の核心、その象徴ではないかと思います。

副大臣・政務官、旧統一教会と関係「見直した人のみ」でも13人接点 [岸田政権]:朝日新聞デジタル

政治家の性差別発言、ワーストは杉田水脈氏 ネット投票:朝日新聞デジタル

#杉田水脈氏の総務政務官起用に抗議します - Twitter Search / Twitter

旧統一教会「訴訟減っている」のウソ そのウラにあった“返金放棄の合意書”【報道1930】(TBS NEWS DIG Powered by JNN) - Yahoo!ニュース




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自民党話法あれこれ

 メディア記者のツッコミ方の問題もあるのですが、最近の国会議員、とりわけ自民党議員の「話法」は、改めて酷いものが多いと思います。誰か、指南している人でもいるのかも知れませんが、虚偽、責任転嫁、黙秘、逆ギレ、恫喝……と、まるでかつて学校で教員から注意や指導を受けたときに見た、目前の子どもたちが駆使していた「言い逃れ」術を、大のおとなが堂々と実演しているかのようです。それでも、小生の知る限り、子どもたちの大半は、最終的には、自分がやりました、自分が悪かったです、と認めるのですが、この「おとな」たちには、そういうことがほぼありません。たまに「謝る」ふりをすることもありますが、それとて「国民に誤解を招いたとすれば」という仮定(条件)つきで、この期に及んでもまだ、他人のせいにします。
 もし、同じことを国会議員でなく、たとえば、芸能人がやったら、社会的にどういう制裁を受けるのか、そういう意味でも、自民党の国会議員は襟を正し、責任感と矜持をもたなければならないし、メディアも国民の代表として、もっとツッコミを入れないといけないし、有権者も(統一教会による自民党議員の選挙応援を凌駕して)問題議員を落選させなければいけないと思います。

 数が多すぎて類型化もできませんが、最近Web上で目にした自民党議員の「話法」をいくつか取り上げてみます。

河野太郎
「月内にも霊感商法についての検討会を設置するよう消費者庁に指示した」
 これは戦術的で、「高等」な部類です。人気取りのために一般ウケしそうなことを言っていますが、実際のところ、旧統一教会は、一般消費者に対する霊感「商法」よりも、信者による(自発的)寄付と(自発的)物品購入に集金機能の重点をおいているので、消費者庁に上がってくる事例は、かつてと比べれば激減しているはずです。つまり、メディアや世間が騒ぐほどに、旧統一教会霊感商法になど力は入れていない(だから非難は不当だ)という結論になるのがわかっていて言っているわけで、これは統一教会問題の鎮静を図りつつ、「やってる感」もアピールしようという、「話法」というより、大臣職に復帰して、もう一度「総裁レース」に臨もうとする彼らしい「手法」だと思います。
霊感商法の検討会設置を指示 河野消費者相、初会見で表明 | 毎日新聞

高市早苗
「旧統一教会と関わりがある雑誌だとは知らなかった」
永岡桂子・新文科大臣の「統一教会は私聞いたことがないですね」(12日)というのもありますが、無知を装う「しらばっくれる」という話法です。内田樹さんがこの話法が政治家のトレンドになっていくような話をTweetしていましたが、慧眼でした。これは、状況証拠を突きつけられれば、だいたいは崩れるのですが、それでもなお無知を装い続けると、「何でそんなことも知らないで政治家やってんだ」と「無能」の烙印を押されかねません。「無能」とみなされるのは、政治家にとっては「無知」より痛手でしょうが、こうなると「無恥(恥じ知らず)」に徹するしかないでしょう。高市氏の場合、大臣就任前は黙っていて、就任したとたんに「(今まで)関連の雑誌とは知らなかった」(つまり、関連していることを知った)などと言うのですから、悪質です。関連がわかったのなら大臣職を受けるべきではないはずです。
高市氏、旧統一教会系の月刊誌で対談 「関わり知らず」 | 毎日新聞
普通のニュース速報 : 永岡桂子 新文科大臣(68)「統一教会は私聞いたことがないですね。他の団体の名前いろいろ出てましたけど全然聞いたことがない」

〇簗(やな)和生
「紙でもらえますか」
 5月20日自民党の会合で、LGBTなど性的少数者を「生物学上、種の保存に背く。生物学の根幹にあらがう」という趣旨の発言をしたとして有名になった栃木3区の衆院議員です。このたびめでたく文科副大臣に就くことになったようですが、この発言についてのコメントを求められた簗氏、アドリブで言質をとられるのが不安だったのか、その場から逃亡するための口実だったのか、記者にこう応え、あとでわざわざ「紙(書面)で」回答したようですが、その中身は「会議は非公開のため、会議の内容や発言について、お答えすることは差し控えさせていただきます」です。これなら、その場で、応えられるでしょうに。それさえもしない、できない。今後も、簗氏とのコミュニケーション手段は「紙」なのでしょうか。
https://twitter.com/Lanikaikailua/status/1558027799893807104

松野博一
「総理が仰ったことに尽きる」「今申し上げたとおり」
 記者:(旧統一教会との関係について)今ほど長官の方からお答えがありましたけど、これまでの関係を点検してですね、厳正に見直すということなんですけども、この “厳正に見直す” というのは、どこまでを求めるものなのかをお答えください。関係をもつというのには濃淡があると思うんですが、ある程度なら関係を残すことを認めるものなのか、それとも、一切の関係を断つように求めるのが厳正な見直しなのか、具体的な内容をお答えください。
 松野:総理が仰ったとおり、閣僚一人ひとりが、政治家としての責任において、それぞれ当該団体との問題…関係を点検し、その結果をふまえて厳正に見直すということであり、そのことに尽きると思います。
 記者:ということは何か一律に厳正な見直しの基準があるわけではなく、個々人の判断で、この行為までなら自分は厳正な見直しをしたと判断できるということでよろしいのでしょうか。
 松野:今申し上げたとおりであります。
https://twitter.com/shin19infinity/status/1557335156033146880

 松野氏は千葉県の人なので、少し贔屓目をもちたいところなのですが、官房長官として毎日毎日、手なづけた記者からの質問ばかり受けているうちに慢心が生じたのか、あるいは、もう単にめんどくさいだけなのか、けっこうぞんざいな対応で驚きます。しかし、政権のスポークスマンがこれはないでしょう。国民を代表して質問している記者に対して、日頃口にしているような「丁寧な説明」を実践していただかないと、岸田政権の足を引っ張り、命運を決めることになりかねないと思います。

 まあしかし、何をおいても問題なのは岸田首相当人でしょう。内閣改造にあたり、「教団との関係を点検し、厳正に見直す」と言って、関係する閣僚7名を外したのに、今度は新内閣で新たに7名の関係者が入閣です。衆院の区割りじゃないんですから、「7増7減」はないでしょう。山際大臣などは、続投が決まった後になって、実は関わってましたと表明しているわけで、これでは後出しジャンケンです。しかも、記者から、岸田首相にそのことを報告したのかと問われたら、直接言わなくともこの記者会見で伝わるなどと、まったくナメきった発言をしているわけで、こんな輩は即刻罷免すべきでしょう。
 岸田さん、おとなと一緒に子どもたちも見てるんですからね。子どもに「何でこうなるの?」と訊かれても、まともなおとなは答えられませんよ、これでは……。




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父親と農 ある声明を見て

 8月12日。父親が亡くなって1年。新盆見舞いに訪れた人たちとお話ししながら、父親が独りで黙々と農に勤しみ、それを周りの人たちも温かく見ていたことを改めて知りました。今、そのあとを展望もなく引き継いでいる息子には、父親の大きさばかりが感じられます。年齢からいって、早すぎることもないのですが、まだまだ生きていてほしかったなというのが実感です。

 一昨日(10日)、岸田内閣「改造」のアナーキーというか「無原則」ぶりを見て、これでは統一教会はもちろん、資本と国家主義によるある種の攻勢(策動)に抗しきれない、むしろ、さらに助長するだろうなと、嘆かわしく思ったのですが、昨日、農と食を国家主義・排外主義の枠で語ることを拒否する声明が出されていることを知りました。

 直接的には参政党がその綱領や公約に、有機農業や食の安全を掲げると同時に排外主義的な主張を並立させていることを批判したものですが、そもそも農や食文化の地域性・固有性を尊重することと、各地の農・食文化が相互に交流することは矛盾する話ではないと思います。これと相容れない排外主義を結びつけてくるのは、過去の歴史経験に照らせばナチスとの親近性を感じないではいられません。

 父親はそんなに意識の高い農従事者ではありませんでしたが、いったん農から離れた人たちが、もう一度帰って来たらいいのにと思いながら、目の前の仕事をしていました。そんなことを言っているうちに齢を重ねて畑に出られなくなってしまいましたが、戒名に「朗」の字をいただいたくらいなので、どんな人とも分け隔てなく話すし、とりわけ農業技術の情報交換に至っては、よそ者だから、とか、外国人だから……という理由で聞く耳を待たないということは有り得なかったと思います。「知的財産権」などという狭量でせこい発想はなく、よそ者だろうが外国人だろうが、いいことは、どんどん教え、教えられたいと思っていたでしょう。

 この声明、少し慌ててつくった印象が拭えませんが、趣旨自体には賛同し、 以下に転引用させていただきます。

私たちは農と食が国家主義・排外主義の枠内で語られることを拒否します|starvalley|note

声明】私たちは農と食が国家主義・排外主義の枠内で語られることを拒否します
 私たちは農民です。農民として、自分の身の丈に合わせ、自然と相談しながら営農を持続し、ある者は有機農業に挑戦し、地域の農業を維持してきました。自由に、思いや行動や知恵や技術を発揮できることに誇りをもって食を作ってきました。
 私たちは消費者であり生活者です。私たちは食べる者として、自身と将来世代の誰もが健康で幸せに生きることができるように、安心して食べ続けられるように、消費者生活者としての運動をつみあげてきました。
 それこそが農と食の民主主義だと私たちは考えます。


 7月の参院選は食と農をめぐって、排外主義的な農業でも良しとするのかという問いを私たちに突き付けました。
 はじめて選挙に登場した参政党が、大量の候補者を立て、当選者を出し政党要件を獲得するという出来事がありました。同党は三つの主要公約の一つに「化学的な物資に依存しない食と医療の実現と、それを支える循環型の環境の追求」を掲げ、有機農業や食の安全に関心をもつ人たちの中に小さなブームを巻き起こし票を集めたのです。
 同党は綱領の第一に「天皇を中心に一つにまとまる平和な国をつくる」を唱え、主要公約の一つに、「日本の舵取りに外国勢力が関与できない体制づくり」「外国人労働者の増加を抑制し、外国人参政権を認めない」を掲げています。国家主義・排外主義の色彩が極めて濃い政党です。
 有機農業運動はこれまで一貫して国際交流を大事にし、海外の実践に学び、日本の経験を分かち合いながらその思想や技術を発展させてきました。食の安全を求めて運動している消費者生活者は、世界中誰もが安心して食べられる世界をめざしています。国家主義・排外主義は私たちのこうした思いや実践と相いれません。
 いま日本では、国民の危機意識を煽りながら軍備の大拡張に動き出しています。そのために邪魔になる憲法の改定が具体的な政治日程に上がっています。あらゆる分野で「安保優先」の動きが強まり、国家による監視と統制、排外主義が持ち込まれようとしています。農と食という生命の再生産をつかさどるもっとも人間的で自由でなければならない分野も、例外ではあり得ないと私たちは懸念します。


『私たちは、農民、消費者生活者が取り組む農業生産活動、有機農業や食の安全をめざす運動が、国家主義・排外主義の枠内で語られることを拒否します。』そのことを言いたくて、この声明を発します。
<以下略>





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